一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく。

一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく。
「誰でも本が作れる、誰でも本が発行できる、誰でも出版社が作れる」この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」が放つ第三弾。時代に沈みかけた下町をよみがえらせた山崎範子の「谷根千ワンダーランド」と高尾五郎「クリスマスの贈り物」の登場。

は隆君のお母さんが立ち上がって校長先生を呼びとめ、校長先生の前につつと歩みよるとこういいました。
「校長先生。先生はいま隆にどんな言葉をかけて下さったのですか」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「まさか、幼椎な貧しい遺書を書いて死んで、あわれだとおっしゃったのではありませんね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「隆は校長先生をとても尊敬していました。校長先生はちょっとちがう、校長先生はちょっとすごいって。なにがちがうのか、なにがすごいのかわからないいい方ですが、でも隆にとってそのいい方は、最高のことを表現するいい方だったのです。隆はそんなにも校長先生を尊敬していたのです。その尊敬していた校長先生に、貧しい幼稚な遺書を書いたものだ、あわれな死に方をしたものだといわれて、どんなに悲しい思いをしているでしょうか。若くして無念のなかで死ぬと、その魂はいつまでも成仏できずあたりをさまよっていると聞きます。隆の魂はいまこのあたりにいるのです。隆の魂はまだ生きています。立派な遺書だった、美しい遺書だったなんていってもらうつもりありません。でもあの子はあの子なりに力いっぱい書いたのです。ですから校長先生、力いっぱい書いた遺書なんだね、力いっぱい生きたんだねって、隆の前でいって下さいませんか」
しかし校長先生はただ軽くお母さんの前に頭をたれると立ち去りました。この様子を固唾をのんで見守っていた参列者から、この非情な校長先生に怒りの声が投げつけられました。
「学校が子供を殺したんだ!」
さらにはこんな怒号も飛びました。
「お前たちは殺人者なんだ!」
そして参列者の怒りが頂点に達したかのように、参列者の一人が折り畳みの椅子を校長先生に向かって投げつけるのでした。
そのシーンを沢山のテレビ局のカメラが、さまざまな角度から一部始終とらえていました。そしてまた一斉にそのシーンがありとあらゆるチャンネルで流されるのでした。篠田校長にたいする非難はすさまじいばかりでした。なにか日本列島が一大ヒステリーをおこしたかのような騒動になりました。マスコミの攻撃は教育委員会や文部科学省に校長を処分せよと迫り、さらにはこの事件はいじめによる殺人事件だから、警察はただちに捜査を開始せよという論調になっていくのでした。

篠田校長には二人の子供がいました。長女の庸子さんはいま松本の小学校の教師をしていました。次女の加奈子さんは東京でした。大学の三年生で、彼女もまた先生になろうとしていました。この一家は先生一家なのです。
庸子さんも大学は東京でしたが、卒業するとやっぱり信州が好きでしたからこの地に戻ってきたのです。よほど教育採用試験の成績がよかったのか、あるいは屈指の名校長といわれる父親の七光のせいか、彼女が最初に赴任したのは松本市内の小学校でした。
まだ先生になって三年目なのに、子供たちから愛されるとても評判の高い先生でした。それはちょうど三時間目の算数の授業をしているときでした。教頭先生がなにやらあわてた様子で教室の引き戸を開けて、庸子先生を廊下に呼び出すと、
「篠田先生、なんだかお宅で、大変なことがあったらしい。いま電話が入っているんだが、ちょっと出で下さい」
と耳打ちしました。授業を教頭先生にまかせて、胸騒ぎする庸子さんは小走りに職員室に飛んでいきました。受話器をとると、
「篠田庸子さん?」
とたずねてきました。女性でした。
「はい。そうですが」
「実はお父さんが自殺なさってね。いまさきほど、お亡くなりになりましてね……」
「えっ、自殺ですか!」
「そうです。自殺です。鴨居に首を吊