内容が素晴らしい。四つのストーリー、どれも驚くべきストーリーです。新鮮な果実が心のなかではじけていく。
手づくりの本、新しい時代をつくる本だと思います。「一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく」って、本当にそんなことを強く予感させます。私もこんな本をつくりたい。
「ゲルニカの旗」の小学生たちのいじめが半端じゃない。しかし今でも子供たちはこんないじめ方をしている。もっと激しく、もっと陰険に。それはゆがんでいく日本の社会の反映でもある。
学級崩壊したクラスに新しい先生がやってくる。私もこういう先生に出会いたかった。そしたら私の人生はまったく違ったものになっていただろう。
吉永先生の授業は素晴らしい。私もこういう授業をしてみたい。私の目標ができた。
「ゲルニカの旗」は実際に起こった事件らしい。大人たちの争闘に巻き込まれた小学生は、苦しみながら成長していく。スペインを訪れて、実際にピカソの「ゲルニカ」の前に立ち、新しく生きていくと覚醒していく倉田佐織にしびれた。
「最後の授業」は、中学三年生の瀧沢君は納屋で首をくくって自殺する。瀧沢君は家族に美しい遺書を残していた。その美しい遺書を篠田校長は貧しい幼稚な遺書だと言った。いったいこの校長はどんな教師なのか。
伝統ある中学校で起こった中学生の自殺事件。マスコミに連日報道されて日本中が怒りで湧きたっていく。日本の教育はここまで腐敗しているのかと。
校長先生は、体育館に全校生徒を集めて、最後の授業をします。なぜ瀧沢くんの遺書が貧しく幼稚な遺書かといった意味があきらかにされていきます。生徒たちからすすり泣きの声が上がります。わたしもまたすすり泣いていました。
篠田校長は、瀧沢君に作文を書かせるために、四百枚の原稿用紙をリュックサックにいれて、北アルプスに登っていく。
そして今日改めて、最後のお作「南の海の島」を四度目、拝読し終えることができました。夜を徹して寝床で読了。あれこれ反芻しつつ寝就くことができませんでした。これはすごい作品だなと、深くうなずかずにはいられませんでした。
あれこれ思いました。何で作者はあの素晴らしい人間たち、飛鳥を、その母佐保子を、次いでその夫琢磨を、飛鳥の兄数馬を殺してしまったの! なんでだ、なんでだと私の中で、三度読んでも納得できない大きな違和感のかたまりが、打ち消し得ぬままにしっこっていたのでした。そして四度、私は否応なくねじ伏せられてしまったのです。これが世の中の不条理というもの、否定し得ることのできない究極の姿として受け入れる他はあるまい──。私の鼻血はそれなのだ。
これは傑作というしかない。私はそう思うばかりでした。
でも、インドに向かって出ていく私、「そして、今度は君がインドにくる番だな」。ちぎれんばかりに手を振って別れていく樫山と私。最後にはもののみごとに、希望が、希望の星が輝いている。読者は救われるのだ。すごい物語を、心からありがとうございました。
「かぐや姫」を一挙読みです。これは驚愕するストーリーです。本当に鎌倉時代に生まれた円空という人がこの「かぐや姫」を書いたのですか。
「かぐや姫」を作った高畑勲さんが、もしこの本を読んだら、この作品をアニメ化しただろう。高畑勲さんに読んでもらいたかった。
貧しい村の青年と恋に落ちたかぐや姫は、なんて愛らしいのだろう。かぐや姫が月に帰っていく場面で私は号泣してしまった。
ああ、これは驚くべき物語だ! 平安時代に生まれた「かぐや姫」と、鎌倉時代に生まれた「かぐや姫