一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく。

一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて大地に広がっていく。
「誰でも本が作れる、誰でも本が発行できる、誰でも出版社が作れる」この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」が放つ第三弾。時代に沈みかけた下町をよみがえらせた山崎範子の「谷根千ワンダーランド」と高尾五郎「クリスマスの贈り物」の登場。

。ですからその町の人々にはとてもつらいことですから、その町の名をA町としておくことにします。その町の名をつけた中学校もまたやはりA中学校としておきますが、この中学校は信州教育と尊敬をこめてよばれる数々の実践活動を生みだしていった古い輝かしい歴史をもった学校でした。この中学校に通う瀧沢隆君という中学生が、自宅の納屋で首を吊って自殺するという痛ましい事牛がおこったのでしたね。
残念なことに、まるで流行のように、子供たちがあちこちで自殺しています。子供たちの自殺があまりにも頻繁に起こるので、いまでは新聞記事にもなりません。しかしこの隆君の自殺事件はちがっていました。連日にわたって新聞もテレビも週刊誌も、なにかヒステリ一をおこしたと思われるばかりの騒ぎ方でした。どうしてこんな騒動に発展していったかといいますと、その事件を取材するためにつめかけた地元記者たちが、その学校の校長先生を取り囲んで、
「隆君は遺書を残していますが、この遺書を先生はどう思われますか?」
とたずねたのです。その学校の校長先生は篠田政雄といいましたが、そのときその篠田校長は、なにか吐き捨てるように、
「こんな貧しい遺書で死ぬなんてあわれです」
といったのです。驚いた記者たちは、
「貧しいですか?」
「貧しくて幼稚な遺書です」
「幼稚なんですか?」
「これが幼椎でなくてなんなのでしょうか。こんな幼稚な遺書で死んでいく子供はあわれにつきます」
校長先生はさらに取材を続けようとつめよる記者たちをかきわけて、逃げ込むように校門に消えていったのですが、そのときその一部始終をテレビ局のクルーが音声とともにしっかりと録画していたのです。その映像とその会話が、各テレビ局に配信され、日本中にそのシーンが、それはもう繰り返し繰り返し放映されていったのでした。
翌日の新聞も一斉にこの事を報じました。社会面を二面もつぶし、さらに社説までにとりあげて、校長先生の言動をはげしく非難するのでした。凄まじいのはテレビでした。昼のワイドショーで、夕刻のニュースショーで、さらには深夜のニュース番組で、いずれもトップニュースとしてこの事件を報じるのでした。

篠田校長にたいする取材はすさまじいばかりでした。学校はもちろん自宅まで大勢のマスコミの取材者たちが、二十四時間張り込んでその姿を捕らえようとするのでした。
隆君の葬儀が三日後に行われましたが、そのときも大変な騒動でした。篠田校長が車から降りてくると、何十人もの取材者がどっと襲いかかるように校長先生を取り囲み、マイクをつきたて、それぞれが質問をぶつけるのでした。なにかそれは獲物に襲いかかるハイエナといった光景でした。ようやくその取材者たちの群れから抜け出して祭場に入っていくと、一斉に険しい視線が校長先生に向けられるのでした。
校長先生が焼香する番がきました。そのとき親族のなかから突然猛々しい声が飛んでくるのです。隆君の叔父さんでした。
「お前なんか、焼香する資格なんてない!」
そして激昂したその叔父さんは、校長先生のところに飛んできて、校長先生の胸倉をぐいとつかむと、「お前なんか帰れ、ここにくる資格はない!」
この興奮した叔父さんを、隆君のお父さんやお母さんが、必死におしとどめて席に引き戻しました。
校長先生は焼香台の前に立つと、隆君の遺影を見つめました。美しい笑顔です。少年の輝きがこぼれるばかりの笑顔です。校長先生は両手をあわせて、ずいぶん長く黙祷していました。そして焼香をおえると、遺族の列にむかって頭をさげ、退場しようと歩み出したとき、今度