アジア象と象を守る人々の物語を通して自然、動物、人のつながりを見直す映画の制作

アジア象と象を守る人々の物語を通して自然、動物、人のつながりを見直す映画の制作
コロナ禍で観光客が消えたタイ。象の観光施設は閉鎖が続き約3700頭の象が飢餓や病気で苦しんでいる。タイの観光を支える象は苦難の運命を生きてきた。その象たちを懸命に守る人々がいる。言葉をもたない「エレファントの叫び」に耳を傾け、象と人間の物語をドキュメントすることで自然、動物、人のつながりを見直す。

、セーブエレファント財団の考え方に賛同して独立を決意。2017年、同財団の支援を受けながら、出身の村で自然と象の保護を重視した小さなエレファントキャンプ「カレン・エレファントホーム」を立ち上げた。

その運営がようやく軌道に乗り始めた2020年、コロナ禍で観光客が途絶える。クリアンクライ氏は同財団の支援を受けつつも、有機農業で自給自足の道を探りながら、2頭の兄弟象を大事に育てている。「山の木を切れば水がなくなり、木と水がなくなったら動物も人間も生きていけない。すべてはつながっている」と同氏は自然の大切さを語る。

<「エレファントの叫び」プロジェクトチーム>

写真家、映像ダイレクターの奥野安彦が2005年、タイ・チェンマイで設立した映像制作会社K.M.Tomyam Co.,Ltd.が「エレファントの叫び」の映画制作を進めている。同社は設立以来、在タイ日系企業やNGO、JETROのPRビデオなどの制作を担当。2014 – 2019年は日本各地の地方自治体の協力を得ながら、タイ人向け日本の旅促進番組を多数制作し、タイのTV局で日本の旅情報発信にも取り組んできた。

現在は自然保護やサステイナビリティをテーマにしたドキュメンタリー取材に重点を置き、NHK ワールドの多言語放送番組「Direct Talk」、「Side by Side」の企画、撮影取材を担当している。ドキュメンタリー映画「エレファントの叫び」のプロジェクトを奥野と佐保が立ち上げ日本人、タイ人、カナダ人の混成チームで撮影を進めている。

<監督&カメラマン:奥野安彦>

1987年に写真家として独立し翌年、ソウルオリンピックを取材。1988年から1994年まで南アフリカで、マンデラ大統領誕生までを写真と映像で取材し、日本の新聞、雑誌、朝日新聞系CS 放送「朝日ニュースター」で映像ジャーナリストとしてリポートする。1995年の発生直後から阪神淡路大震災とその後を記録し、「アエラ」「アサヒグラフ」などで発表。 1998年からパラリンピックアスリートの写真記録を始め、長野とシドニーのパラリンピックを日本の雑誌多数で発表。2005年、映像制作会社K.M.Tomyam Co.,Ltd. をタイで設立し、以来、東南アジアを中心に映像制作に取り組む。2013年、「国境なき医師団(スイス、日本合同チーム)」の映像制作プロジェクトでアフリカのスワジランドに1ヶ月滞在し、現地のHIVの現状を記録。 写真集に「ウブントゥ〜南アフリカに生きる」(第三書館) 、「瓦礫の風貌〜阪神淡路第震災の記録」(リトル・モア)、 「BODY~パラリンピックアスリート」(リトル・モア) 、共著に「ガジュマルの木の下で〜HIIV感染孤児と暮らすミワ母さんの物語」(岩波書店)、「てつびん物語〜阪神淡路大震災のある被災者の記録」(偕成社)ほか

<映画企画&編集総括:佐保美恵子>

学習院大学フランス文学科卒業。1980年代にファション雑誌、編集プロダクション勤務後、フリライターに。1988年から6年間、激動する南アフリカで同国の社会、文化を奥野安彦とともに取材し、日本の雑誌や朝日新聞系CS放送で映像リポートする。奥野と結婚後、子ども2人を育てながら「アエラ〜現代の肖像」「コスモポリタンジャパン」などで活躍。2000年からチェンマイにあるHIVの影響を受けた子供たちの施設「バーンロムサイ」と創設者の名取美和氏を取材し、雑誌等でリポート。2010年前後から環境問題、自然保護、サステイナビィティに関するテーマに強い関心をもつ。著