はじめに・ご挨拶
神奈川県の湯河原にある激動昭和史の現場2.26事件唯一の地方資料館「光風荘」の保存会です。
このプロジェクトで実現したい事
築80年以上もたち老朽化が激しい屋根の修理及び補修
私たちの地域のご紹介
神奈川県の西南端、東京から約90kmで伊豆の玄関口に位置する湯河原町は、三方を箱根外輪山や伊豆、熱海の山々に囲まれ、南東は相模湾にのぞんでおり、海、山、川などの恵まれた自然環境や歴史文化の香り漂うまち並など、多彩な表情を持つ風光明媚な観光のまちです。
沸き出でる温泉は大変上品な泉質のうえ効能にも優れているため、遠く万葉の時代から湯治場として栄え、明治以降には文人墨客の静養地として発展してまいりました。
プロジェクトを立ち上げた背景
2・26事件において牧野伸顕前内大臣が陸軍皇道派の河野寿大尉ら8名に襲撃された現場である光風荘は、平成15年より資料館として一般公開されています。2・26事件資料館としては日本で唯一の貴重なものです。
湯河原での2.26事件とは、1936年(昭和11年)2月26日珍しい大雪の早朝、国家改造(昭和維新)を目指す陸軍の一部青年将校らは1400人あまりの部下将兵を率いて、首都の中心部を占拠し、軍・政府高官の官邸、私邸を襲うという、日本近代史上未曾有のクーデター未遂事件「2.26事件」が起こりました。
この事件で斎藤内大臣・高橋蔵相・渡辺教育総監や護衛の警察官らが犠牲になったほか多数が負傷しました。
この事件では東京以外で唯一の現場がここ湯河原の「光風荘」が起こった現場です。
老舗旅館伊藤屋の元別館「光風荘」には、前内大臣の牧野伸顕伯爵が静養のため家族、使用人と共に滞在していました。天皇側近として国政の中枢にあり、リベラルな考え方で政・官・財界に影響力を持っていた牧野伯爵は、急進的な青年将校たちに、天皇の判断を誤らせる「君側の奸」(天皇を取り巻く悪者)と見なされ襲撃の対象となりました。
2月26日早朝、東京から雪の湯河原に着いた河野壽大尉以下8名の別動隊は「光風荘」を急襲しました。当直の護衛官・皆川義孝巡査と銃撃戦のあと同荘を放火炎上させるも、目指す牧野伯爵は地元消防団員らの活躍で脱出に成功。この事件で護衛の皆川巡査は死亡。河野大尉も部下の下士官と共に重傷を負ったほか、伯爵づきの看護婦や地元消防団員も銃弾や消火作業で負傷しました。
河野大尉は事件後、収容先の熱海陸軍衛戌病院(分院)で差入れの果物ナイフで自決しました。
この光風荘を維持管理するために、平成15年に光風荘保存会が設立されました。但し、光風荘の所有権は別にあり、光風荘保存会が賃借しています。
現在の光風荘は事件で焼失した翌年の昭和12年にほぼ現状復帰する形で創建されましたので、保存会設立時に築66年でした。従って補修は欠かせません。このための維持管理費は光風荘保存会会員の会費および光風荘への入館者による寄付金で賄っています。
保存会の会員数は当初は百名を超えていましたが、年々減少し令和1年現在、40名を下回っています。この時点で、保存会の剰余金は十数万円となっており、このままでは光風荘の維持管理も難しくなっておりますため、こうした背景や会員の高齢化による減少の為今回のプロジェクトを立ち上げました。
これまでの活動
毎週土日に開館し、観光ボランティアによる案内を行って参りました。平日は(要予約)。
※現在コロナウイルス感染症の緊急事態宣言発出中ですので開館はしておりません。
状況を見ながら運営していく方向で進んでおります