アジア象と象を守る人々の物語を通して自然、動物、人のつながりを見直す映画の制作

アジア象と象を守る人々の物語を通して自然、動物、人のつながりを見直す映画の制作
コロナ禍で観光客が消えたタイ。象の観光施設は閉鎖が続き約3700頭の象が飢餓や病気で苦しんでいる。タイの観光を支える象は苦難の運命を生きてきた。その象たちを懸命に守る人々がいる。言葉をもたない「エレファントの叫び」に耳を傾け、象と人間の物語をドキュメントすることで自然、動物、人のつながりを見直す。

つっこい7歳の雌象トンイーは奥野に興味津々で、ENPで撮影すると必ず近寄ってくる。1歳で母象から離され、観光地での物乞いと曲芸が「仕事」だった。トンイーの歓迎キスは毎回強烈!

私たちは2004年に横浜からタイのチェンマイに拠点を移し、翌年、映像制作会社を立ち上げて日本やタイのNGO、日系企業のPRビデオなどを制作してきました。2014年から5年間はタイ人向けに、日本の観光促進のテレビ番組を企画制作しました。2020年以降はドキュメンタリーを主軸にNHK WORLDの「Direct Talk」「Side by Side」の企画、撮影を担当しています。
私自身は20代からドキュメンタリー写真家として活動し、1994年の南アフリカ、ネルソン・マンデラ大統領による黒人政権樹立、1995年の阪神淡路大震災とその後の10年間、1996 年長野冬季パラリンピックから2000年までパラリンピックアスリートを写真で記録してきました。タイに移住後は映像制作に移行し、2013年にはアフリカで「国境なき医師団」の現地活動の映像撮影も担当しました。

仕事のパートナーで妻でもある佐保美恵子はもともとドキュメンタリーのライター、編集者で、現在は映像編集やNHK WORLD「Direct Talk」のインタビューを担当しています。自然保護、動物保護に強い関心をもつ彼女は映画「エレファントの叫び」の企画者で、撮影現場では関係者とのコミュニケーター役と写真記録で走り回っています。

800キロ離れた象観光施設からセーブエレファント財団が救助した高齢の雌象カイムックと佐保。同財団代表のレックさんとともに搬送トラックに同乗して取材した。

<コロナ禍の今、なぜ象のドキュメンタリー映画なのか?>

16年前にさかのぼる象との出会い

ではチェンマイを拠点としてきた私たちがなぜ今、象のドキュメンタリー映画の制作プロジェクトを立ち上げたのか…。その理由は16年前の私たちと象の出会いまでさかのぼります。

2004年、私と佐保はCSテレビ放送の特派員として11歳の娘と4歳の息子を連れて、家族4人で北タイのチェンマイに移り住みました。タイで真っ先に取材したのが、観光業で働く象と少数高地民カレン族の象飼育師一家の物語です。3トンもの体躯をもち人間と関係の深いアジア象は、私たちにとって摩訶不思議で興味をそそられる存在でした。撮影後、その家族を何度か訪ね、象の背中に乗って山や川を歩き子供たちとワクワクしたことを覚えています。当時の私たちは観光の背後にある象の虐待問題について知識がなく、象に乗る観光スタイルに疑問を抱くこともありませんでした。

4世代にわたって象を育ててきたカレン族一家と私たち家族。左端の二人が佐保と当時11歳の娘、象にふれる男性が奥野、子犬を抱く幼児が当時4歳の息子(2004年)。

観光を支える象の苦難と象の保護に人生を捧げるタイ人女性

私たちがアジア象の問題と出会ったのは2009年、エレファント・ネーチャーパーク創設者サンドゥアン・レック・チャイラート氏(レックさん)の取材がきっかけでした。少数高地民カム族の出身で幼い頃から森や川や野生動物と身近に接してきた彼女は、観光ビジネスの背後にある象の虐待にタイ人で初めて異論を唱えた、国際的に有名な動物保護活動家です。セーブエレファント財団の創設者でもあり、その革新的な保護活動は欧米のメディアで多数取り上げられてきました。(詳細は本ページ後半の、レックさんのプロフィールをご覧ください)

2000年初めから本格的に象