カレーに人生を捧ぐ男の話。フードトラックで日本一周一万杯。

カレーに人生を捧ぐ男の話。フードトラックで日本一周一万杯。
2021年秋、愛してやまないカレーを売り日本一周を決めました。1万杯を目標に全国を駆け巡ります。また、旅中に訪れた先では出来る限りその地の物でカレーを作り皆様へお届けします。コロナが落ち着き、世界が平和に戻ればカリフォルニアへ日本スタイルのカレーで挑戦したい。そんな夢からきた今回のチャレンジです。

挨拶

はじめまして。このたび、フードトラックで日本一周に挑戦する島田一輝(しまだかずき)です。1993年生まれの27歳です。

まずこれだけお伝えさせてください。僕は、これからの人生をスパイスカレーに懸けることにしました。

2016年に同志社大学商学部を卒業後、大和証券へ入社。約4年勤務したのち退職。そして、当時26歳の僕は渡米しました。

そして、その地で出会った一人の男性との出会いが、僕の人生を大きく変えることになります。そして、そこから僕のカレーなる人生が始まりました。

今、僕の夢は『カリフォルニアで日本スタイルのスパイスカレーのお店をオープンし行列を作ること』です。

そしてこれから、スタートするトラックの屋号は『 CALIFORNIA SPICE 』

少し長くなりますが、ここに辿り着くまでのお話をさせてください。

2015年、僕はスパイスカレーと出会いました。大阪北浜にあるコロンビア8というカレー屋さん。そこのカレーはまさにスパイスをそのまま食べているかのような痛烈な刺激と爽快感、カレーの概念が覆りました。当時の僕には衝撃でした。

(※スパイスカレーとは、日本人に馴染みのある通常のカレーとは違い、カレールーやとろみの元である小麦粉を使わないのでスパイシーでシャバっとしている点が特徴です。)

その日以来、暇があればスパイスカレーのお店を巡る日々が始まり、そこから数年かけて行ったカレー屋の数は全国約200店舗。

2日に一度はカレーを食べていました。スパイス依存症です。

(↑携帯で撮り溜めていたカレーフォルダの中です)

それから、カレーを食べることに満足してきていた僕は、自宅でスパイスからカレーを作り始めていました。当時の僕の家の中はスパイスの匂いがこびりついていました。

(↑初めて家でスパイスからカレーを作った日の写真)

2016年、大学を卒業した後、新卒で大和証券株式会社へ入社しました。

(↑三ヶ月間の新人社員研修時代)

僕は湘南の茅ヶ崎支店へ配属になり、今振り返るとこの配属が僕の人生の転機だったように思えます。

湘南は言わずと知れた、サーフカルチャーが根付いた街です。

その地で、僕はサーフィンの魅力に取り憑かれどっぷりとのめり込んで行くことになりました。

横浜にあった社員寮を出て、海まで3分、会社まで3分のサーファーにとっては贅沢過ぎる立地に家を借りました。

朝は、日の出と共に目覚ましをかけ、出社前に海に入り、爽やかな気分で海から上がると、ゆっくりとコーヒーを煎れて日経新聞を読んで出社する、そんな雑誌のような生活を送っていました。

そんな生活を送り、約3年が経った頃、アメリカの大学へ留学している先輩が休暇で湘南へ遊びに来たときに、

「カリフォルニアが最高過ぎるから一度見にこいよ」

とのことで僕は、その翌月に、会社の年休を消化し、1人で人生初のカリフォルニアへ向かいました。

そこはまさに、僕が描く天国のような理想の街でした。壮大な自然があり、人もみんなハッピーで温かいし、波も良いし、気候も温暖で最高に住みやすい。

僕は完全に西海岸のスタイルに惚れ込みました。帰る頃には、先輩に「僕会社辞めて、カリフォルニアに来ます」と真顔で言っていました。

(↑初めてカリフォルニアへ行った時)

しかし、日本に戻ると毎日の業務に追われる忙しない日々、海外へ行くことを考えるような暇もなく、また、今の恵まれた環境を全て捨ててまで行くべきなのか、今後の人生の不安など色んなことを考えてしまい決断することが出来ません