くのサーファーたちがこぞって訪れる場所でもあります。
海水浴客もたくさん訪れる場所です。
さらに、その豊かな自然が育んだ野菜や魚介類、農林水産業もさかんです。
地元でとれた海の幸・山の幸はとても美味しく、ぜひ一人でも多くの方に食べていただきたいものです。
プロジェクトを立ち上げた背景
2021年3月、「震災から10年、忘れられた被災地」というタイトルで、ここ旭市の報道がありました。
被災した飯岡を中心とする海辺の復興が、10年たってもなかなか進んでいない現状を伝えるものです。
東日本大震災による被害状況、旭市の発表はこちらをご覧ください↓
震災から10年。復興に向けて歩み続ける旭市。
2019年には2回も台風直撃被害。
さらに、追い打ちをかけるように、新型コロナウィルス感染症の流行による打撃。
海の幸・山の幸・雄大な自然と、観光資源の豊かなこの街でも、その影響はかなり深刻です。
そんな中、ステイホーム、リモートワーク、オンライン化の波が一気に加速し、都心に住んでいる必要性があまりなくなった今、Iターン・Uターンなど、地方への移住やワーケーション(「ワーク」と「バケーション」を組み合わせた造語。)への関心が高まっています。
そんな方々に候補地のひとつとして知っていただければ幸いです。
出典 https://www.photo-ac.com/
海の幸・山の幸・観光資源に恵まれた旭市。
美しい景色や、美味しいもの、雄大な自然、そういったものに囲まれた生活に憧れ 、たくさんの人々がこの街に訪れてきました。
そのような魅力ある街、旭市を一人でも多くの方に知ってほしい、体験していただきたい、との思いから、『忘れられた被災地 旭』写真集の発行と、旭市を体験・堪能できるクラウドファンディングへのチャレンジをする運びとなりました。
これまでの活動
保育園運営時代
<1980年>
日本女子大学英米文学科卒業
浦安市に私立保育園を開園し40年間保育園を運営
自らの子育てと並行して次世代育成に奮闘。
<1986年>
浦安青年会議所初の女性会員
<2008年・2014年>
浦安シーサイドライオンズクラブ会長就任
<2017年 旭市へ移住>
夫がサーフィンで30年ほど前から飯岡の波に魅せられて通う週末住民だったことが影響し、旭市へ移住。
2011年、東日本大震災による津波被害がきっかけとなり、被災し様変わりした旭市のために何かできないか、と思い移住を決意、旭市民となりました。
<2019年>
旭愛がこうじて、地産地消のラーメン屋 『WaiiWaiRamen8 (ワイワイラーメンエイト)』をオープン。
『恋する灯台』に認定された飯岡灯台あたりから朝陽が昇る「夢のようなロケーション」で、日々の暮らしを楽しんでいます。
<2020年>
旭市の良さを広く伝えたいとの思いから写真集を発案・写真の提供を公募。
資金の使い道
1.写真集 ″忘れられた被災地” 『旭』 製作費
2.写真集 ″忘れられた被災地” 『旭』 宣伝広告費
3.旭市活性化のさらなる試み
4.協力いただいた事業者様への還元
5.CAMPFIRE手数料
実施スケジュール
2020年~ 写真集 ″忘れられた被災地” 『旭』制作(写真公募)
2021年10月 クラウドファンディング開始
2021年11月末日 クラウドファン