自宅のポストへ入れ、財布とたまたま車に載せていた2日分くらいの着替えだけを持って、1階の窓から微かに聞こえる子どもたちの笑い声に、「今までありがとう。ごめんな。逃げるパパを許してください」と頭を下げて、宛もなく現実逃避をしたのです。
家を背にして歩き出してからも涙が止まりませんでした。
ボクの帰りを、まだかまだかと待つ子どもたちさえも裏切らなければいけないほどに、ボクの心は壊れてしまったのです。。。
宛のなかったボクは、フラフラと歩きながら、寝る場所を探していました。命を絶つ勇気はなかったし、そのつもりでもなかったのでしょう。ボクはただただ、誰もボクを知らない場所に逃げたかっただけでした。
ところが、宛もなく1時間ほど歩いた先で、突然の雨に見舞われます。
まるで、ボクの行いを良しとしないかのように、雷雨を伴うような大雨が降り始めたのです。
風邪をひきたくなかったボクは、急いで雨をしのげる場所を探しましたが、屋根がある場所へ戻った頃には、ずぶ濡れになってしまいました。
さらに、精神的な疲労に加えて歩き疲れたこともあり、どうしても横になりたいと思ったボクは、ネットカフェに泊まることにしました。
ですが、次の日もその次の日も天候は悪かったのです。
8月23日の時点で、ボクは隣の市まで行くことしかできませんでした。本当は宛もないまま隣県に行き、そこでお金も尽きて、野垂れ死ぬのも悪くないとか考えていたのですが、やはり許される行為ではなかったんだと思います。
そして、その日の朝方、ネットカフェにいたボクは警察に保護されました。家族や親兄弟が捜索願いを出して、寝る間も惜しんで探してくれていたからです。
友だちや親戚までもが3日間、ボクを必死で探し回っていたと聞いています。
それでもボクがネットカフェに泊まっていなければ、絶対に見つかるはずはなかったと思いますが、、、本当はボク自身も見つけて欲しかったし、探して欲しかったのかも知れません。
それから、ボクが突然消えることを恐れた(元)妻の心配もあり、しばらくの間、人の目がある実家で過ごすことになりました。
そして、しばらくして、相当思い悩んだであろう(元)妻から離婚を求められました。
決断としては仕方がなかったと思います。なぜなら、ボクが適応障害になったから離婚を求められた訳ではありません。実は、この数ヶ月前から離婚の話は出ていたからです。
ただ、この決断はお互い苦しんだ末のものだと思っています。
離婚することになったボクはそのまま実家で療養しながら、自分のこれからの人生を模索し始めることになりました。幸い、今も子どもたちとは月に一度会うことができています。
冒頭にも書きましたが、適応障害と診断した病院の先生曰く、ボクのストレスの原因は、仕事と家庭、とのことでした。そして、適応障害の発症を抑えるには、環境から離れるしかないとも言われました。
そんなこともあって、実家に帰って3ヶ月ほど、ボクはスマホを持ちませんでした。
仕事先の方々には迷惑をかける結果となりましたが、自分の命との天秤にはかけられません。
なので、ボクは新しくストレスのないような人生をスタートさせようと決めました。
自分の中で、8月20日にボクは一度死に、8月23日に復活したと思うことにしました。
つまり、あの日からこっちの人生はオマケだから、もう命尽きるまでストレスを感じないように、楽しむしかないと決めたのです。
ですが、何がしたいのかも分からないままでしたし、すぐに仕事ができる状態でもなかったので、とにかくやって