ろう」と考えている方が多いということだと思います。
神社のシステムというのは、参拝者がご利益や神様を感じられるように、先人達がいろいろと工夫して1000年以上をかけて設計されてきたものです。
鳥居をくぐり、手水舎から出ている水で口をすすぎ、掃き清められた参道や階段を渡りながら木々や自然を感じ、少しずつお堂に近づいていく……。
そうした行為がすべて、神様に触れ合いに行く流れとして機能しています。
これらをすべて省略して「最初からオンライン参拝でいい」ということになってしまうと、足を運んだからこそ得られる感覚が否定されてしまう、そういった感覚があるのかもしれません。
実際に、私の周りの神職の方々のほとんどは「オンライン参拝は受け入れがたい」と口にしています。
神社には本宗の伊勢神宮を仰いでいる神社が約8万社あり、その各都道府県の神社を神社本庁が統括しています。
その本庁も、今のところはオンライン参拝や、お賽銭、ご祈祷のキャッシュレス決済には否定的な見解を示しています。
「コロナや人混みを気にしないで参拝ができる」「家にいながら参拝ができるから便利」と、参拝者の間では好意的な意見が多いですが、この試みは運営する側にとっても参拝者側にとっても、まだ手探り状態です。
こういった状況、時代背景において、
改めて、現代における神社の在り方を問われています。
・人口減少・高齢化による人手不足と財政難
・新型コロナウィルスによる参拝自粛、外国人参拝者激減
・オンライン参拝への移行の難しさ
こういった状況で「助けて」という声をどこに表明していいか分からない、声にならない悲痛の叫びをあげている神社が全国に多数あります。
我々のような神職という立場上、なかなか言い出しにくいのだと思います。
心の健康寿命を延ばしていきたい
私は、当社や神社業界の範囲だけでなく、地域や社会、自然も含めて、
「関わる人すべてが豊かに、幸せになってほしい」と思っています。
しかし、例えば、書店に赴くと、「人間関係で疲れた人へ」「自律神経を整える方法」「お金の不安を減らす」といったものであふれているようです。
便利な世の中になり、物資的には満たされているはずなのに、なんだかいつも疲れている、月曜日が憂鬱、漠然とした将来への不安、やりたいことが見つらない…。
「人生100年時代」と言われているにも関わらず、
これは、本当に幸せと呼べるのでしょうか?
「身体的な健康寿命」だけでなく「心の健康寿命」の知識や考え方も身に着けていかないといけないのではないでしょうか。
実際に、2021年度の初詣に行けなかったり、厄払い祈祷を受けることが出来なかったりした方からは、「今年一年無事に過ごせるだろうか…」という、少なくない不安の声を聞きました。
ウィルスなどの目に見えない脅威や、地震・台風・噴火などの自然災害は、なかなか予想できるものではありません。
「目に見えないもの」だからこその、なんともいえない恐怖がつねにあります。
万一の不運が起きてしまった時や、ある日突然何かを失った時は、絶望もするでしょう。
医療の発展により寿命が伸びたからこそ、どう生きるのか?そして、後世に何を残していけばいいのか?という明確な答えのない問いを自身になげかける方も増えたことでしょう。
文明の発展とともに、選択肢が増えたことによって、かえって悩み苦しむ方も増えたことと思います。
これは、予測できない時代の宿命といえます。
これまでは、、信じ、崇め讃えることで、災害や災厄