主役は『にいがた』雪国新潟が誇るフルーツを1人でも多くの方に広めたい

主役は『にいがた』雪国新潟が誇るフルーツを1人でも多くの方に広めたい
『米がうまけりゃフルーツもうまいっ!』雪国新潟が誇る”高品質フルールを全国に広めたい”新潟でもとっても美味しいフルーツがたくさん栽培されています。なにより、雪国という気候的ハンデを独自の品種改良や栽培技術によってカバーしています。生産者さま魅力やの情熱をフルーツと共にお届けしたい!

はじめに・ご挨拶

初めまして!

新潟で『しゅんきゅう青果店』を運営しています、株式会社HOPEF(ホーペェフ) 代表 佐藤俊彦と申します。

※企業名は希望『HOPE』に福島(Fukushima)フルーツ(fruits)の頭文字『F』をつけてHOPEFです

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私は2020年3月12日に起業し、現在新潟で『農家さんがその日に収穫した新鮮なフルーツをその日のうちにお届けする』フルーツの移動販売をしています。
(フルーツ版UberEatsのイメージ)

お客様から注文を受けたら、私自ら農家さんに引き取りに行き、一般の御宅から飲食店にお届けしています。
現在、約200名程・飲食店5店舗のお客様がいらっしゃいます。

たくさんの農家さんと交流するうちに、ある『想い』が芽生えましたので、本プロジェクトを立ち上げました。

少々お時間を頂戴いたしまして、私の想い及び本プロジェクトについて御紹介させていただきます。
宜しくお願い致します。

起業の経緯 ~故郷『福島』への想い~

まずは簡単ではありますが、なぜ私が起業したのか?そちらをお話しさせてください。

私は、福島県飯舘村出身です。
福島県の力になりたい!そう思うキッカケがあり、隣県の新潟県で起業しました。

なぜ福島ではなく新潟なのか?

10年前の東日本大震災以降、福島県は地震・津波・原発事故・風評被害など非常に苦しみながらも戦っています。
私の地元は放射線の影響で全村避難。家族は村を離れざるを得なくなりました。

家族は仮設住宅で約7年ほど避難生活をいたしました。

※現在は避難指示は解除されています。
 もちろん10年間に比べれば状況は良くなっております!
 これも、村の関係者が日々復興に向けた活動の結果です。感謝しております。  
 詳しい情報について知りたい方はコチラをご覧になってください

10年前と言えば私も20歳。
なにをしたら良いかなんてわかるはずもなく、当時は私はただただ茫然とした日々を過ごしていました。

人生の転機は4年ほど前におばあちゃん(大正15年生まれ)が避難先の仮設住宅で息を引き取ったことです。
生前『震災は戦争より辛かった』と言っていたと、亡くなったあとに母親から聞かされました。
理由は、『戦争で地元を追い出されることはなかったけど、震災(放射線)は私たちを地元から追い出したから』とのことのでした。

人生で一番お世話になったおばあちゃんが、地元に帰れないことをずっと悲しんでいた事実を初めて知った時に『何かしなければ!何かを!』と全身が震えました。
フルーツで起業する!!!

そうは言えど、何をすればいいかなんていきなり答えなど出るはずもありません。
『なにをしたらいいのか?』そう思いながら毎日毎日考えていました。

 ただ僕の中でハッキリとしていたことがあります。
それは『福島県で起業しても意味がない』ということです。
福島から離れたところで、福島を想い行動することこれが重要だと感じました。

ここには理屈はありません。ただただ直感です。

そこで私が起業先として選んだのが『新潟県』でした。
新潟は『東北』『北信越』『関越』『北陸』など様々な顔を持っているため、新潟にポジションを取ればいつか大きな力で福島を応援できると思ったからです。

そして、新潟と福島の共通点『フルーツが美味しい!』を導き出しました。

※福島県は果物を育てるのに非常に適した環境で様々な果物が栽培されています

あるおじいさんとの出会い