初めまして。あくあ ゆいと申します。
わたしは人の孤独に寄り添いたくて音楽をやっています。
この度、初めてのCD制作並びにアーティストグッズ制作を満足のいくものにすべく本プロジェクトを始めました。
【わたしが音楽で伝えたいこと】
わたしが音楽を初めてからクラウドファンディングを試みるまでの経緯を綴りたいと思います。
少々長くなりますが、以下に「路上ライブを始めた理由のあくあゆいにインタビュー」動画がありますので、お時間がない方はそちらをご覧いただけますと幸いです。
わたしが音楽の世界に惹き込まれたのは今から10年以上前、小学4年生の頃です。
兄がたまたま借りてきた(わたしの名前の由来にもなっている)バンドのベストアルバムから流れるある一曲を聴いて
口ずさみたくなるようなメロディーと温かく包み込むような曲調に魅力を感じ
そこから彼らの大ファンになりました。
頑張れと引っ張るのではなく、一緒にしゃがみこんで寄り添ってくれ彼らの音楽が大好きでした。
解散するまでの間、何よりもそのバンドを一途に愛し続けていました。
わたしは、当時から歌うことが好きで、カラオケに行くのは最高の娯楽でした。
中学生の頃下手くそながらに、本家の音源と自分の歌を聴き比べるなどして少しでも歌唱力を上げようとカラオケに通いました。
そうは言ってもわたしは、当時音楽よりも大切にしてることがありました。
それは小学校5年生から続けていたソフトテニスです。
運動が得意だったわたしはソフトテニスで結果を出したいという気持ちが強く
カラオケに行くのは娯楽という感覚でした。
その中で、友達とカラオケに行った時にわたしの歌で友達が感動して涙を流してくれたことがありました。
この時、わたしの中で自分の歌を誰かに届けたいという気持ちが生まれましたが
熱量はソフトテニスの持つものの方が上でした。
中学生の頃は、市の選抜メンバーに選ばれるなどして、
決して誇れるものではないけど自分自身では納得のいく結果を残していました。
また駅伝のシーズンになると、ソフトテニス部と駅伝部を兼部し
今でこそミュージシャンを目指しているものの、当時はゴリゴリのスポーツマンでした。
中学生の頃、人間関係で悩むことが多くなりました。
あくあゆいの代表曲とも言える「教室アレルギー」はこの頃から発症していたのでしょう。
狭い空間で読まなければいけない空気。決して乱してはいけない空気。生徒や先生の力ではどうにもなりません。
その教室独特の空気感は、どんなに勉強ができない子も決して間違わないのです。
友達がいることが正義であるかのような学校がわたしは苦手でした。
高校に上がり、ソフトテニスでは熱心なコーチにご指導いただいたことで目標設定をインターハイ出場まで上げることができました。
しかし、毎日やれることは妥協はせずにやっているはずなのになぜか結果が出ない日々でした。
皆んな必死で頑張っているのだから、簡単には行かないことは分かっていましたが
それでも辛く苦しい日々が続きました。
通学時、このまま一時停止せずに自転車を走らせたら車に轢かれるだろうかと毎日考えていました。
結果が出ないことだけではなく、さらに部内の人間関係でも悩んでいました。
練習試合前に、メンタルがズタボロになってうずくまって涙を流していても
部員は誰もそばにいないのです。それどころか皆んな離れていくのです。
普段の部活の時も、ひとりぼっちでいることは少なくなかったように感じます。
みん