はじめに・ご挨拶
世界初のパクチー料理専門店パクチーハウスの創業者であり、パクチー銀行の頭取の佐谷恭と申します。「ありえない」と酷評され続けたパクチー料理専門店を予約の取れない繁盛店に育て、「パクチーブームの火付け役」という評判も得ました。世田谷区経堂で10年超の営業をした後、リアル店舗をやめて、無店舗展開と称して世界各地でポップアップ営業を行ってきました。
リアル店舗のときは「パクチー好きの聖地」と呼んでいただきました。無店舗展開の今は、パクチーを知らない、好きじゃない、関心がない人も含め、放っておくとパクチーと縁のなさそうな人にパクチーとパクチー料理を好きになってもらう活動をしています。いろいろな方とコラボして、パクチーハウス◯◯を各地で開いています。「聖地巡礼」ならぬ、「聖地が巡礼」です。
パクチーハウス東京閉店後の活動
日本各地と世界(メキシコとオランダのみ)約 50カ所で、パクチーハウスのポップアップ営業を行い、引き続きパクチーとパクチー料理の普及に全緑を尽くしています。
また、交流する飲食店として運営していた「パクチーハウス東京」から派生してできた、東京初のコワーキング「PAX Coworking」もパクチーハウスと同時にリアル店舗を無くしました。が、縁ありそのポリシーとパッションを引き継ぎたい仲間も現れ、無店舗にするつもりが4店舗に増えてしまいました(福井県大飯郡高浜町・千葉県安房郡鋸南町・東京都品川区五反田・愛知県新城市豊岡)。
パクチーハウスのポップアップ営業、コワーキングその他の講演その他で以前に増して全国を旅するようになりました(ここ1年超は新型コロナで激減しましたが・・・)。そして縁のできた内房の鋸南町(きょなんまち)というところで、空き店舗となっていた古い巨大なショッピングセンターを借り、アーティストインレジデンスとコワーキング、書店などの複合施設「鋸南エアルポルト」を2019年10月に立ち上げました。現在、自宅のある世田谷と行き来しながら2拠点生活をしています。
鋸南エアルポルトの物件を契約した直後、大型の台風15号が鋸南町を襲いました。自分の関わろうとする場所が突然被災地となり、波瀾万丈の幕開けでした。それから2年が経ち、町の大部分は落ち着いており復旧しているように見えますが、まだブルーシートを屋根につけたままのお宅もあり、復旧ボランティア活動は続いています。
鋸南エアルポルトから歩いて3分の内房線・保田駅に向かう途中に商店街があります。シャッター街だった商店街の店舗のいくつかは、シャッターが開くどころか、台風の被害の影響を受けて、建物ごと取り壊されてしまいました。どんどん寂しくなる風景を、町に関わる1人として見過ごしてはいられません。
駅前の旧金融機関の建物がテナント募集を始めた
保田駅の目の前にある旧金融機関の建物に今年に入ってから動きがありました。すでに店舗としては何年も前に利用されなくなっていたのですが、倉庫として利用されていたようです。ある日、珍しく人の気配があったので見ると、書類等を運び出していました。
次のテナントを探すみたいと不動産屋の友人が教えてくれました。せっかくなので内見もさせてもらいました。そして、思いついてしまいました。そろそろ、パクチー銀行のリアル店舗がほしいと。
パクチー銀行ってなに?
パクチー銀行は2007年1月1日に僕がつくったシードバンクです。パクチーハウスを始める2年半以上前、パクチーが美味しくて楽しいと思った僕は、日本パクチー狂会を立ち上げ(2005