失明危機のサッカー選手・松本光平/もう一度、世界の舞台に立ちたい!

失明危機のサッカー選手・松本光平/もう一度、世界の舞台に立ちたい!
2020年5月、コロナ禍の中、自宅でのトレーニング中に事故で両目を負傷。右目はほぼ失明、左目はわずかに視力が残る状態となったサッカー選手、松本光平。手術と懸命のリハビリで、なんとかプレーできるまで回復した松本選手ですが更なるプレーレベル向上のため、以前の自分自身を超えるレベルまで成長したい!

はじめまして。大阪府出身のサッカー選手、松本光平です。今回、また新たなクラウドファンディングを設立致しました。去年5月に、トレーニング中に両目を負傷し、目がほとんど見えなくなりながらも、術後のリハビリを乗り越え競技復帰を果たしました。このような状況になっても、私が今もプレーできているのは、クラウドファンディングのお陰でもあります。実は、負傷後の手術は、クラウドファンディングで集まった皆様からの支援金で受けることができました。その結果、最悪の事態だった眼球摘出を免れることができ、また、苦しいリハビリを乗り越え、今では再びプレーできるまでに回復しています。自分自身がこんな状況になったからこそ、自分が活躍する姿を見せる事によって多くの人に希望を与えられるのではということを糧に怪我をする前の自分よりも絶対に上手くなってやる!という強い思いで日々練習に励んでいます。

私は、大阪府で生まれ、幼い頃からサッカーが大好きなサッカー少年でした。中学校時代には、セレッソ大阪U―15に所属し、山口蛍選手や柿谷曜一朗選手らとチームメイト、高校時代はガンバ大阪ユースに所属し、倉田秋選手や宇佐美貴史選手らとともにチームは全国大会での優勝も経験しました。

そして、高校卒業後と同時に高いレベルを目指し海外でのキャリアをスタートさせました。イングランドの名門チェルシーFCの下部組織やニュージーランドのオークランド・シティFC、ワイタケレ・ユナイテッドなど、トライアルも含め10 カ国以上でプレー。国際大会も経験し、オークランド時代には、親善試合では日本代表とも対戦しました。

そんなキャリアの中で、2019年には日本人で唯一、FIFAクラブW杯の舞台に立つことができました。

しかし、その翌年の2020年5月、ニュージーランドの自宅でのトレーニング中の事故で失明の危機に突然襲われました。目の視力はほとんど見えない状況で、かすかに見える左目の視力は水中で目を開けているような感覚です。今でも目の前の料理もどんな料理なのかは口にしてみないとわからない状況で自炊をしていても肉が焼けているかどうかもわかりません。そして段差などの凹凸が目で把握することができないため、階段などの上り下りには今も苦労しています。

そんな中、現地や日本の専門医にも視力の回復の可能性は1%2%と言われてきました。それでも、わずかな可能性にかけて手術を執刀したいと言っていただける病院を見つけ、募集させていただいたクラウドファンディングでは3日で目標金額の300万円に到達。手術を受けることができました。

正直、私自身このクラウドファンディングでの反響には誰よりも驚きました。そして同時に、この支援を無駄にするわけにはいかない。この想いを原動力に、自分が競技に復帰し、他の選手に負けないプレーをして、プロアスリートとして世界で活躍し続けることが恩返しだと思い、コロナ禍でチームに合流できない中でも、その実現へ向け日々練習に励んでいます。私は、2月に開催予定のクラブワールドカップにオークランド・シティFCの一員として出場予定でしたが、コロナ禍の影響によりチーム自体が不参加となってしまいました。しかし、次のクラブワールドカップはこの日本で今年の12月に開催が決まっています。現在、私はその大会に出場すべく、トレーニングを続けています。

私は現在も、かすかに見える左目をたよりに、練習や試合では競技用メガネをかけながらなんとかプレーを続けることができていますが、片目に負担をかけている分、左目の視界もここからさらに低