食べて応援!「コロナで苦しむ飲食業界の人たち」に支援のバトンをつなぎます

食べて応援!「コロナで苦しむ飲食業界の人たち」に支援のバトンをつなぎます
私は当初、コロナで存続の危機に立たされた自分の餃子店の支援を求めプロジェクトを始めようとしました。しかし、コロナで苦しいのは私だけではありません。そこで、今回は私の挑戦の裏側を「記録に残して公開」することで、他の飲食業界の方がクラウドファンディングに挑戦する際の助けになれるように企画を考えました。

プロジェクト発起人 楠祐哉はじめまして、大阪の藤井寺市で餃子専門店を営む、餃子屋本舗の二代目、楠祐哉と申します。

コロナ禍で苦しむ飲食店経営者のひとりとして、何か出来ることは無いかと悩んだ末、このプロジェクトを立ち上げることを決意しました。

私がはじめた、この小さな活動が飲食業界の方に希望の光に届けるきっかけになればと願い、全身全霊をかけて取り組んでいます。

私は元々はジャズベーシストを志していたのですが、

リーマンショックで廃業の危機に立たされた両親の餃子店を手伝いはじめたことがきっかけで後を継ぎました。

そのときは潰れる寸前まで追い込まれましたが、家族で力を合わせて乗り越え、二年前には店舗を二倍に増床し、フルリニューアルオープンも果たしました。

しかし、今回の新型コロナウイルスにより、

大阪では二度目の緊急事態宣言が発令され、予約のキャンセルが相次ぎ、またもや大打撃を受けました。

正直なところ、廃業しようかと真剣に悩むほど厳しい状況ですが、

大変な思いをしているのは私だけではありません。他の飲食業界の方も同じように苦しんでいます。

地元の雑誌に掲載していただいた時の父と母の写真、大病から5年後餃子屋本舗は今年で創業44年になります。

元々は父がはじめた中華店でしたが、私が中学生の頃に父が生死をさまよう大病を経験し、

それを機に母が餃子専門店へと半ば強引に変えて当店が誕生します。

父は1年にも及ぶ入院生活の中で筋肉が痩せて歩くだけでもやっとの状態で、

リハビリ後もしばらくは中華鍋を満足に振ることが出来なかったのです。

だから、母は父の得意料理である「餃子」を中心とした専門店に変えたのでした。

父と母の絆から生まれた餃子店は今年で18年目を迎え、その間に父は二回にわたり入退院を繰り返しました。

いつだって順風満帆ではありませんでしたが、

その間、人気テレビに取り上げられて行列が出来たこと、経営のことで揉めて大ケンカしたことなど

辛いことも嬉しいことも経験し、私たちは今日まで営業してきました。

私は当初、コロナで廃業の危機に立たされた自分の餃子店だけを助けてもらいたくてクラウドファンディングをはじめようとしました。

ですが、コロナ禍で厳しいのはみんな同じです。それなのに、自分だけ支援を募るのはどうなのかと悩みました。

そこで、私は自分のプロジェクトを通じて、

私たちを含めた「業界のみんな」にも支援を届けることは出来ないかと考え、クラウドファンディングに挑戦する決意を固めました。

私たち飲食店が止まると肉屋さん八百屋さんも注文が無くなり、その影響は生産者にまで及び、業界のみんなが苦しくなります。

特に飲食店を中心に取引をする卸売店や生産者は売上が前年の1割のところすらあります。

また、私の店も含め、手作りを信条にする店は、手作りのソースや出汁など日持ちしないものが多く、

客足がまばらだと仕込んだものを捨て続ける日々が続きます。

いっそ冷凍レトルトを使おうかと悩みましたが、お客さんに不義理なことはしたくありません。

本当のことを言えば、生産者や卸売店を応援するためには、こんな状況下でも、たくさんの人に料理を届けることが必要なのですが、

テイクアウトやデリバリーでは売上は元の3割がせいぜい、

私も急場凌ぎで通販サイトを作ってはみましたが、ほとんど売れず、

しかし、店を開けても食材が腐っていくばかりで気が滅入る一方でした。

きっと、私と同じように悩んでいる飲食店の人たちも大勢いらっしゃる