<公害と出会い、向き合うための本>を出版したい

<公害と出会い、向き合うための本>を出版したい
「公害」という言葉を聴くと、何を連想するでしょうか? 公害は、過去完了形の出来事ではなく現在進行形であり、これからの私たちのいのちと暮らしの在り方にも大きくかかわります。そこで私たちは、<公害と出会い、向き合うための本>として『公害スタディーズ;悶え、哀しみ、闘い、語りつぐ』を刊行したいと考えます。

、社会的に救済をしなければなりません。被害は不可逆的で、予防しなければ元に戻りません。これらの特徴は公害と全く同じです。市民運動による解決の道も同じです。

日本は災害の時代に入ったとおもいますが、この危機を克服するために公害の歴史的教訓に学ばなければなりません。

第一回の東京オリンピックが開かれた1964年当時の国語辞典『広辞苑』で「こうがい」を引けば「公害」の単語はなく「鉱害」があった。それが、1998年版では「公害」のついた言葉がいくつも載っているが「鉱害」はない。
1964年、それは東京オリンピックが開かれた年だった。その年の”子どもの日”の正午に、沼津の高校生たちが教師の指導で、鯉のぼりの尾っぽの方向を観察し、風の流れをとらえた。それに対して国がヘリコプターを飛ばして煙を撒き風の流れを調査した。その煙の流れは天に昇らす山の地面をただよった。住民たちもそれを観察し、駿河湾東北部に計画された石油化学、電力工場群の建設は頓挫した。
そして今2021年の夏。オリンピック東京大会が開催された。酷暑の季節、早朝・深夜に及ぶ開催時間、また東京臨海部の競技場の異臭が問題となった、多数の外国人がやってきて、都民が慢性化した環境問題に気づかされた。
ともあれ、今日の公害教育を課題とし、研究成果を交流共有し、研究と実践の発展を開く画期的な出版をたたえます。

公害はたしかに「過去」のことです。水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病とまったく同じ事件は今後は起こらないでしょう。それを繰り返すようでは困ります。しかし、コロナ禍におけるオリンピック開催に見られるように、人命の軽視や人権侵害は形を変えて起きています。こうした状況が続いているために、過去の公害に学ぼうとする人は後を絶ちません。多くの人が文献をひも解き、現場に足を運び、当事者の話を聞こうとしています(コロナ禍のもとでオンラインの取り組みが広がりました)。
環境や健康、命を守るために、私たちは何を学び、どう行動すればよいのか、公害の経験はそれを教えてくれます。ただし、何かあらかじめ決まった答えが容易されているわけではありません。この本を読んで、ひとりひとりが過去の事実から教訓を引き出していただきたいと思います。写真提供:民の声新聞

公害はもっとも身近な開発課題の一つであり、持続可能で公正な社会づくりを考えるうえで欠かせないテーマです。実は今、私たちが享受できているきれいな水や空気、環境は、数々の公害運動のおかげなのです。公害教育研究会の3年間の議論を通して作成された本書には、現在そして未来にも影響する公害の全容を把握するための写真や資料、深く理解するための事例や解説、公害にかかわった人々の語り、そして公害学習実践等が掲載されています。本書を通して、公害が起きた背景や構造を理解し、公害患者や運動にかかわる様々な人々の声を聴き、自分や社会の価値観を捉えなおすことができるでしょう。誰もが当事者であり、全ての命と暮らしにかかわる公害に出会い、向き合い、これからの社会を考えてほしい。フィールドになかなか行けない今、学校や地域ですすめるSDGs学習に必携の一冊。

なぜ私たちの社会が公害を生み出したり放置したりしたのか,なぜ今なお様々な問題を解決できずにいるのか。このことを深く考えていくことで,私たちがどのような社会を新たなものとして構想し,創り出していくべきなのかが浮かび上がってきます。市民の政治参加/社会参加を進めていく際,未来社会のビジョンを描く営みは不可欠となりますが,公害問題と