SAVE THE GOK!【GOK SOUND救済プロジェクトⅡ】

SAVE THE GOK!【GOK SOUND救済プロジェクトⅡ】
今年42年を迎えるレコーディングスタジオ「GOK SOUND」現在では数少ないアナログレコーディングを行っています。コロナ禍の影響によりスタジオが危機的状況に陥ってしまいました。少しでもこの状況下から脱却・再スタートするため「GOK SOUND救済プロジェクトⅡ」を始動!


様々な作品を生み出し、皆様に音楽の感動と興奮、最高のサウンドと技術の提供をして
参りたいと思っております。

GOK SOUNDはエンジニア近藤祥昭が経営する吉祥寺にあるレコーディングスタジオです。
アナログレコーディングを専門としたスタジオと近藤の仕事は、世界で活躍する
ミュージシャンから若きミュージシャンまで幅広く愛され・慕われています。

●LC Mix Room

一般家庭の環境を想定して6畳ほどの面積にSSLコンソール、Pro toolsHD、
サンプリチュード、マスタリングシステムの設置。
別室マシンルーム、24Tr Studerレコーダー、1/2 16Tr×2のアナログレコーダーの設置。

●Lスタジオ

大人数のバンド練習やレコーディング、映画のバンドシーン、バンドライブ、配信ライブの
撮影も開催可能なサイズで様々な利用が可能なスタジオ。
今までに数多くのミュージシャンがレコーディングとしてこのスタジオを利用している。
12.4m×6.4mの広さ。ステージ部分は6.4m×4.1m。

●Bスタジオ

18畳のスペースにセミサイズのグランドピアノブース。
前室はウッドベース、ヴォーカルブースとしても利用可能。床以外は木質になっているため
暖かい響きを作り上げる事が可能。

●Aスタジオ

コンクリート質でできた18畳のスペースで、とてもラウドな響きを持っている。
前室はヴォーカルブースとしても使用可能。
かつての国分寺スタジオBを再現。

●スタジオでの撮影映像

Os Ossos

はいからさん

HELL FREEZES OVER

1971年、15歳の当時は画家を目指していたがピンク・フロイド、レッドツェペリを知り、
サウンドエンジニアも重要なメンバーに違いないと思い、ミキシングコンソールを楽器に
見たて音楽界に入ることを決意した。

1975に上京しアンプ、スピーカー、ミキサー全て手作りし、その機材で
「ジュノンサウンド」と名乗りPA業を始める。出入りしていた法政大学で裸のラリーズ、
高柳昌行、田中泯、あぶらだこ、大駱駝艦を見てカレッジシーンの重要性を知る。

1979年、国分寺の解体予定の古アパート1棟を1年限定で借り、楽器店「GOK Co」を
始め、その中の4畳半の部屋を1日2時間限定で練習部屋として貸し出す。
GOK Co(ゴッコ)は学生バンドの溜まり場となり、その中には後にプロとなる人もいた。
店名の由来は、高校3年の時に校則を破り時折通っていた喫茶店「ごっこ」に因んで付けた。
店内では演劇、美術、音楽などの表現者を志す人達が集っていた。

ある日、練習部屋に出入りする学生やアメリカ人ギタリストに「God Only Knows?」
と聞かれた。
それがきっかけとなり1981年に部屋を改造しスタジオをオープン。
そして、先行きは神のみぞ知る「GOK SOUND」が誕生。

リハスタジオとしてスタートし、録音の際はPA車から機材を降ろしデモテープ造りを
始める。
当時ミキサールームがないまま小型の8トラックレコーダーを入手し、現ケラリーノ・
サンドロヴィッチ氏が運営するナゴムレコードによりカーネーション「夜の煙突」を録音。

1990年に高幡不動にもスタジオをオープン。

1993年、火事に襲われスタジオを閉店、高幡不動にて営業再開。
それまでにカレッジバンドはもちろん
LUNA SEA、橋本一子、P-MODEL、大友良英、梅津和時、フレッドフリスなど
多くの方の作品制作に手伝わせていただいた。その後、高幡不動か