▼ご挨拶と挑戦について
はじめまして!!
村木食料品店(以下「村木商店」)の村木 亜弥香と申します。
祖父の写真を見ては思い出しています
大好きだったおじいちゃん。
私は、亡き祖父が作っていた日本酒“はたしょう”を復活させます!
“はたしょう”は滋賀県の愛荘町(旧:秦荘町・はたしょうちょう)という場所から生まれ、地元で愛された日本酒の銘柄です。祖父は日本酒を通して、町の発展を目指していました。私はその想いを胸に、もう一度日本酒づくりをして高齢化も進む町を盛り上げたい。どうか一緒に盛り上げてくれませんか?
▼背景
「町を、人の暮らしを豊かにしたいという祖父の想い」
私の実家は食料品店です。
村木商店は、私の亡き祖父である村木重一が町づくりの一つとして営んでいたお店になります。祖父の代には農家でもありました。
祖父と祖母 村木食料品店開店当時の写真
ここで、少し祖父の紹介をさせてください。
祖父は、地域社会の発展に力を尽くした人でした。町づくりや、土地改良、地のものを産業にしていく取り組みをしながら、昭和51年2月から12年の間、秦荘町議会議員として地方自治の発展に尽力、秦荘町議会議長も務め、長きにわたり地域社会の発展のために力を注いでいました。また、昭和58年5月から平成9年5月まで秦荘町商工会副会長を、平成9年5月から平成18年5月まで秦荘町商工会会長を歴任し、町の商工業の発展にも寄与しておりました。
秦荘町議会議員選挙時
さらに、平成4年12月から平成16年11月までの12年間は、 民生委員児童委員として社会福祉に貢献し、その後平成18年3月から平成28年での10年間は、愛荘町シルバー人材センター理事長として、高齢者の活躍する社会づくりに取り組んでおりました。
夢を語るだけでなく、自ら行動し、多岐に渡る社会貢献に寄与した人でした。
祖父が亡くなるまで営まれた村木商店は、地元の方が足繁く訪れてくださり、買い物だけでなく、町の話や相談までされる憩いの場のような場所でした。
しかし、祖父が亡くなり約2年経ったある日のこと。
「もう店をたたもうと思うんや」
父から村木商店をたたむとの連絡がありました。
元々、赤字だったことに加え、収入源であった地元のイベントもコロナ下で中止になり、もうこれ以上続けていけないと…
祖父の背中を見て育った孫としては、なんとも言えない切ない気持ちになり、電話を切った後理由もなく涙が溢れてきました。
私は、小さい頃からお店に足を運んでくださる方に囲まれて育ちました。今大人になって、祖父が力を尽くしてきた足跡を改めて知ると、祖父がいかに地方や地域を愛し、まちづくりのために土を耕し、肥料をまいて、たくさんの小さな種を育ててきたのか、その想いがよくわかりました。
祖父の想いを未来へ繋いでいきたいと思った瞬間でした。
2019年4月号 vol.158 広報はたしょうより 叙勲伝達時の写真
(この広報が出たのは、祖父が亡くなった後です)
昔の家庭用酒類購入昔の家庭用酒類購入切符
▼引き継ごうと思ってわかった現実
大きく3つ、現状の課題がわかりました。
1:継続する資金がない
残念ながら、祖父が亡くなった後、一時的に父が引き継いだものの継続させていくほどの資金もございませんでした。
2:祖父が手がけた日本酒の銘柄はすでにない
祖父が育てたお米からできた日本酒の銘柄はもうありませんでした。乾燥・籾すりをできる場所が無くなったからです。
3:継いでいく若者がいない。高齢化。