“無名の日本人” 23歳のノンキャリア選手がサッカー大国スペインで這い上がる!

"無名の日本人" 23歳のノンキャリア選手がサッカー大国スペインで這い上がる!
幼少期から始めた大好きなサッカー。そして幼い頃からの夢、プロサッカー選手になり日本代表でW杯を優勝すること。しかし高校時代度重なる怪我で不完全燃焼に終わり、挫折を経験し夢を諦めかけた男がもう一度夢を叶える為サッカー大国スペインへ。"無名の日本人"が"サッカー大国"に挑み、夢を叶えます!

〜はじめに・ご挨拶〜

こんにちは。戸野塚涼と申します。

まず始めに、数あるプロジェクトの中から僕の挑戦に目を通していただき感謝致します。

そしてお先にお伝えしようと思います。

僕は一度自分に目を背け、夢から逃げた男です。

そんな男の挑戦です。

長くはなってしまいますが、最後まで読んでいただければ幸いです。

僕は埼玉県で生まれ、幼少期からサッカーを始め、日本代表になりW杯で優勝することを夢にプレーをしてきました。

そして今現在、海外挑戦への準備とコンディション調整のため日本でプレーをしています。

2021年1月〜3月の期間でスペインでトライアウトを受け、自分の精一杯の力とエージェント、周りの方々のおかげでなんとか契約を掴み取ることができました。

そしてこの契約をきっかけに、日本人(アジア人)とスペイン人主体でリーグ制覇を目指そうという新しいスタイルを持つ

“パラモスCF”(スペイン5部)

というチームへ挑戦する機会を頂きました。

説明のように僕は、

海外でプロサッカー選手になり、日本代表まで登りつめW杯で優勝することを目指す男です。

スペイントライアウトにて(UB Conquence)
〜これまでの歩み〜

少し長くなってしまいますが、僕のこれまでを僕なりの熱量で伝えさせてください。

最後まで読んでいただければ幸いです。

僕は、幼少期、土日休みに必ず父親と一緒に我が家のおもちゃ袋という野球ボールやグローブ、プラスチックバット、バトミントンセット、フリスビーなど様々な物が入った袋を持ち、自転車で小学校へ遊びに行くことが日課でした。

その中でいくつかのスポーツに触れ、

1番楽しく夢中になれたのがサッカー

でした。

そして小学時代、地元の少年団に入団をしました。

少年団時代 前列右から2番目

そんな小学時代、休み時間は校庭で友達とサッカー。

学校が終わり、ランドセルを置き、ボール持って外へ行きサッカー。

少年団の練習が終わり午後になったらサッカー。

サッカーをしていたら小学生時代が終わっていたと言っても不思議ではないくらいサッカーだけを友達と共にしていました。

少年団ではサッカーの楽しさ、点を決めることの感動を思う存分に経験することができました。

そんな自分はあっという間に中学へ入学し、1年生までは部活動ではなく、地元のクラブチームに所属をしていました。

しかしなかなか自分がチームへフィットできず、退団をし2年生からは通っていた中学校の部活動に所属していました。

中学時代のサッカー部での一枚。当時の部長が怪我の離脱により初めてキャプテンを務めました。

しかし

小中ともに、これといった大きい大会での優勝や県大会への出場などもすることはありませんでした。

そして高校入学の年。サッカーもいよいよ本格的になってくる年齢でした。

大事な高校選びの際、この選択肢によっては今後のサッカー人生が大きく変わるかもしれない。今ならばこのようなことが言えますが、

当時15歳の人間的にもメンタル的にも未熟だった自分は、

“サッカー”

というスポーツをまったくわかっていませんでした。

本当の勝負の世界やその厳しさなどを知ることもなく、ただ地元の少し強い高校に入学し、部活動に励めば選手権へ出られる。そう考えていました。

そして僕は当時、数年前に埼玉の名門、武南高校を下し県大会ベスト8まで行き当時勢いのあった越谷西高校へ入学し、サッカー部に入部します。

ここから駆け上がってやる。

選手権へ出場してやる