はじめに・ご挨拶
はじめまして!お久しぶりのかたはお久しぶりです!当ページをご覧頂きありがとうございます。周防国分寺まつり実行委員会です。
地元・山口県防府市を愛してやまない若者(?)と、建立から1,200年以上の歴史を歩み続ける周防国分寺が、地域の皆様と盛り上げるべく境内でお祭りを企画・運営しています。
地元のかたも、地元でないかたも、歴史が好きなかたから、お祭りが好きなかたまで、とてもたくさんの方々にご来場いただき、年々パワーアップを繰り返しながら、来場者数をどんどん更新しています。
新型コロナウィルスの影響により、感染防止・来場者の皆さまの安全を最優先に中止とさせて頂きました。今年こそはと、実行委員会メンバー全員張り切っていたのですが、蔓延の勢いはなかなか衰えず、2021年度も中止を決断いたしました。
罹患された方におかれましては深くお見舞い申し上げるとともに、自身やご家族にかかる不安を顧みず、日々懸命に治療にあたって下さいます医療関係者の皆さまへ、心から感謝申し上げます。
毎年周防国分寺まつりでは、お越し下さる皆様のお願いを、ご本尊であります薬師如来様へ大切にお届けするお手伝いをしております。残念ながらお祭りは中止となりましたが、今年も誰かのお願いをお届けしたい・・・そんな想いからクラウドファンディングを設立いたしました。
昨年度が初めての試みでしたが、クラウドファンディング初心者のメンバーで苦戦しながらも、支援者の皆さまのお願いを無事にお届けすることが出来ましたので、今年も拙いながらプロジェクトを始めました。
ここまで読み進めて頂いただけでも大変嬉しいのですが、もう少し・・・いや、もうかなりになるかもしれません、当プロジェクトについてお付き合い頂きたく存じます。
結構すごい!「周防国分寺」とは?
741年の聖武天皇の建立の詔より、全国68か国に建てられた国分寺の一つです。周防国分寺が建立されたのは756年です。
この国分寺が全国に建てられたのは、当時、農作物の不作が続き、また疫病の流行(過去の文献ではその疫病はモアイという名前です。現在の言葉で、天然痘の事です。)により藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂の藤原四氏が亡くなりました。身分に関係なく、たくさんの人々が亡くなったのです。このことは当時の人にとって衝撃的な出来事でした。社会状況の不安を取り除き国民の慶福を願って建てられたのが国分寺でした。
そして、それを何よりも望まれたのが聖武天皇でした。聖武天皇は国分寺を全国に建てるだけではなく、全国の国分寺の七重の塔に御自身が写した金光明最勝王経を安置したのです。この経を読誦することによって、四天王が国と人々を守ってくれるというものでした。周防国分寺は皇室との因縁が特別に深く往昔の規模が壮大であったことは、その寺域の面積が61町歩余りにまたがり、七堂伽藍(南大門、中門、七重の塔、金堂、講堂、持仏堂、食堂)と25カ寺の塔頭と末寺を擁していたことでもうかがえます。
後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革等により、その規模は縮小され、現在では往時の遺構遺跡と建造物の一部を残すのみになりましたが、今なお仁王門をくぐると荘重な金堂があり、ここには多数の国宝的仏像が安置されております。
本尊は創建当初丈六の釈迦如来でありましたが、奈良時代の終わり頃から平安初期には薬師如来に替わっています。現在は、高野山真言宗に属します。
【執筆・監修:周防国分寺住職 福山 智大 】
周防国分寺 ウェブサイト