で手分けして探しましたが、全く見つからず途方に暮れていました。
少しづつ嗅覚や耳が弱くなっていたので、もう1人では帰って来れなくなってしまってたと思います。
毎日毎日心配で、「どうか事故にあわず生きててほしい!」と願うことしか出来ない日々が続き、警察に相談しましたがなかなか見つかりません…
1ヶ月ほど経ち、少し諦めかけていました。
警察の方から連絡があり、プリンを発見したと連絡をもらい、迎えに行こうと詳しくお話を聞いてみると、探していた範囲の近くではあったものの、私達が思っていたよりも遠い場所で発見されていました。
それ以来、しっかり首輪やリードのほつれなどチェックするようにして、プリンの脱走はこの1回だけとなりました。
振り返ってみて、見つかって本当に良かったと、今でもホッと胸を撫で下ろす出来事として思い出されます。
2020年になって急に長寿犬として注目して頂け、夏にテレビ出演や新聞の取材の日々も、秋にはすっかり落ち着いてきました。
前月までは、まだゆっくりでも歩けていたプリンでしたが、12月を迎える頃から少しづつ、衰えがみえはじめ活発さを失いはじめていきました。
暖かい日中に寝てしまうので、夜中に寝れずに、悲しく鳴くことが増えていきました。
プリン自身も自由の利かない歯痒さや、動くのが辛くなってしまっている様で、辛さを訴えるように鳴く事が日増しに多くなっていきます。
辛そうなプリンを、どうしてあげればいいのか解らない不安も相まってしまい、余裕を失いつい怒鳴ってしまう事もありました。
しばらくすると、立つことも難しく歩くことも出来なくなってきてしまい、弱々しく訴えるように呼ぶ様になったプリンに、私、そして家族は、ただ寄り添ってあげることしか出来ない無力さに、弱気になってしまっていました。
衰弱が進みご飯が食べられなくなっていくと、点滴を取り入れた生活に変わっていきました。
日々弱々しくなっていくプリンを見ては、切なくなる気持ちが後から後から溢れて、自分を責めてしまっていました。
丸々してたプリンが日々痩せていくのを見つめては、元気だった頃を思い出し後悔ばかりが頭をよぎる日々でした。
どんな状態でも頑張って生きようとしているプリンに、私の中で覚悟が出来ていなかった事を痛感させられました。
きっと1番辛いのはプリンなはずなのに。
私このままでいいの?
そう思ったら、
今プリンに後悔しない様、きちんとしてあげられる事をしよう!と、覚悟する事ができました。
そして、
「最後まで家族で見守ろう!」と皆で決意して、少しでも一緒に居られるよう、家族皆で看病する事にしていきました。
固形物は受け付けなくなってたのでペーストのご飯をあげてみても、なかなか上手く食べられずにいたので、せめて毎回の病院への通院は大変だし可哀そうだから、家で点滴が出来る様にしました。
床擦れができ始めたので、化膿が進まない様にと、子供のスパッツを履かせ、綿だったしサイズもちょうど良かったので、とても便利でした。
定期的に体の向きを変えてあげた成果が出て、はじめの床擦れ以外には増やさずに済んだのは、私達の救いにもなりました。
そんな私達の気持ちに報いてくれるかの様に、プリンは最後の最後まで私達に答えようと、健気な姿を見せてくれていました。
プリンは沢山の勇気と優しさを私達家族に感じさせてくれながら、次第に小さくなろうとしている灯火を、ずっとずっと家族皆で寄り添い続けていきました。
年が明けてからも、ゆっくり弱っていくプリンを