幻のピアノ『大橋幡岩モデルのディアパソン』を復活させたい!

幻のピアノ『大橋幡岩モデルのディアパソン』を復活させたい!
「和製ベヒシュタイン」と称される大橋幡岩設計の「ディアパソン」。特に製造台数が少ないとされているのが「183型」。日本のピアノ製造の歴史において、貴重なこのピアノを後世に残していきたい…

視聴者さんに、このピアノの本来の音色を届けられたらどんなに幸せだろう。たくさんの方がこの音色を聴いてピアノをさらに好きになってくれたら…。

そう思って、所有者であるご長男さんに、オーバーホールの可能性についてご相談をしてみることに。そして同時にオーバーホールをしたらどのくらいになるんだろう?と見積もりもとってみることにしました。

ご長男さんは、このディアパソンが本来のディアパソンの音になるのであれば修復することは賛成であると話してくださいました。また、貸与していただく際に、修理については私どもが負担するというお約束になっているため、私どもが修理することは問題ないとおっしゃってくださいました。

ただ…肝心の見積もりについては、修理業者数社にあたったところ各社とも150~200万円の金額がでてきてしまいました。
やはりね…とは思う金額になりました。

でもピアノの修理をしなければ、このピアノはなくなってしまう…
まぁちの恩師夫妻の思い出も、ご長男さんの形見もなくなってしまうのは、やはり忍びないことです。

そこで、皆さんのお力をお借りしたい!
と思いプロジェクトを企画することといたしました。

全国には、大橋幡岩モデルのディアパソンのファンが多数いらっしゃると聞きます。
その方々に、これからもこのピアノの本来の音色をお届けしたい。

そんな思いから、今回「幻のピアノ『大橋幡岩モデルのディアパソン』を復活させたい!」プロジェクトを立ち上げました。
これまでの活動

まぁちおんがくきょうしつの2人の先生を紹介します。

【教室長・川手義啓(まぁち)のプロフィール】

ヤマハ音楽教室、サディーム音楽研究会出身。
千葉県立生浜高等学校・武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻卒。ピアノを金木哲、丸山徹薫の各氏に師事。
中学校・高等学校教諭一種免許状(音楽)所持

1969(昭和44)年9月28日、東京都港区南麻布生まれ。生後6か月で千葉市美浜区の千葉幸町団地へ。
物心ついた頃から通った幼児教室の先生が弾くオルガンに興味を示したのが音楽を志すきっかけとなる。幼い頃より多芸多才で、小学校では代表陸上選手で表彰される一方マーチングバンドでは首席打楽器奏者として活躍する。
中学時代は恩師から全校合唱の指揮者を拝命し『幸町のカラヤン』と呼ばれる。中学でピアノを本格的に始め、高校1年の時に現在きょうしつのある美浜区高浜に移り住んでからもピアノに打ち込み、1988(昭和63)年武蔵野音楽大学に現役入学。

大学では自身のピアノ専攻課程の他に管弦楽器や声楽の伴奏を数多く依頼され、ピアノ演奏や伴奏技術の腕を磨く。また、声楽の講師から『声がいいから声楽にこないか?』と何度も誘われほど歌唱力もあり、武蔵野音楽大学合唱団にも参加。課外活動ではスキー部に所属。
大学卒業後は合唱指導・伴奏ピアニストなどを歴任。しかし、大好きなピアノを体質により諦めバス運転士となり、路線バス、貸切バス、教習所バス、幼稚園バスを運転して地域に貢献するも、やはりピアノへの思いは断ち難く、45歳で一念発起、再びピアノと共に歩む決心をする。
大正琴奏者としては、1998(平成10)年からベース大正琴奏者に抜擢されデビュー。全国の演奏会やCDレコーディングに参加。珠算、実務、けん玉等にも資格を持つマルチピアニスト。
低音の甘い声と柔らかで軽妙な語り口は、高校時代に人気を博した放送委員時代から変わらず、2017(平成29)年1月から「バイエルピアノ教則本」全曲をYouTube動画に投稿開始。現在は「お話ぴあに