アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ

アフリカの新しいオペラ!ブルキナファソで、現地の人々とじっくり・ガッツリ・コラボ
世界最貧国の一つ、西アフリカのブルキナファソで、現地の伝統音楽奏者たちとのコラボで新しいオペラを作っています。アフリカ人が自らの視点で語るアフリカの歴史、苦難と希望の物語を、アフリカの豊かな音楽を取り入れて描く、アフリカ独自のオペラの誕生をサポートし、見守ってくださいませんか。

築家の展覧会のオープニングパーティーに行き、フランシス・ケレという、ブルキナファソ出身で世界的に知られた建築家と出会い、彼が将来、祖国にオペラハウスを作る可能性のある事を知りました。この出会いがきっかけで、それまで名前も知らなかったブルキナファソという国へ行くことになりました。
ブルキナファソはもともと観光で訪れる人は僅かでしたが、コロナの影響で、ブルキナファソ人が近隣諸国へ行って演奏する機会も次々とキャンセルされました。2020年前半のロックダウンの時には冠婚葬祭も禁止され、グリオたちは危うく餓える寸前でした。グリオは、先述しましたように、伝統の音楽・芸能を受け継ぐ家系の人たちで、日本の楽家や家元と似ています。ブルキナファソは多民族・多言語から成る国家で、各部族のグリオはもともと部族の族長に奉仕する形で、様々の儀式などの際に演奏していました。しかし、イスラム教やキリスト教が普及し、族長達の多くもそれらの宗教に改宗してしまい、演奏機会は急激に失われていきました。現在は、市民の冠婚葬祭や、新年や祝日などの門付けの演奏で細々と食い繋ぐ状況です。そうなると、以前はなかったことですが、彼らも子弟を学校へ行かせ、他の、もっと安定した職につかせようとします。当然の経緯と言えますが、そうなると次世代の音楽・芸能のレベルはどうしても下がって来ます。 一方でレゲエなどの音楽が流行り、グリオ以外の人々、そしてグリオの中にも、ギターやベース、キーボードといった外来の楽器を演奏する人が増えて来ました。音楽ジャンルもそういったモダン、従来のトラディショナル(伝統)、そしてそれらが混交したトラディモダンに分かれ、トラディモダンは伝統が形を変化させながら生き残っていく道として推奨され、期待され、注目されています。私たちの制作しているオペラは、まさしくこのトラディモダンに相当します。私は、彼らの伝統音楽をできる限り深く学び、そこへ私自身の身に付いた音楽(幼少時から学んだ西洋音楽や、その後に学んだ雅楽など)の要素を慎重に織り交ぜていく方針です。アフリカの伝統の価値を尊重したうえで、それをアーカイブ的に保存するのではなく、伝統自体が現代社会の、国際的な影響を受け、それなりに変化することこそ、伝統が活き活きと生き残っていく道であると信じるからです。

3. これまでの活動

私は、東京芸術大学在学中から作曲活動をはじめ、1995年に尾高賞という、NHK交響楽団の主催する、優れたオーケストラ 作品に与えられる賞を女性作曲家として初めて受賞しました。2000年には同賞を再受賞。2004年頃から約10年間、家族で結成した山下和仁ファミリークインテット(ギター五重奏団)のための作曲と公演を中心に活動しました。その後、作曲の中心は9歳の時からの夢だったオペラに移行しました。既に30歳の頃、二つのオペラを京都と東京で初演していましたが、2015年以降はオペラの新しい可能性を探求するため、ヨーロッパでネットワークを広げ、多くの指揮者、歌手、演出家たちに出会いました。そして2020年、ついにポーランドで、自分で脚本と作曲の両方を手掛けたオペラを初演しました。
2018年1月にベルリンで、フランシス・ケレに出会い、同年7月、まず三週間の現地調査のためブルキナファソを訪れ、主に彼の故郷・ガンドで人々と交流しました。翌2019年11月、プロジェクト開始のため再びブルキナファソへ向かい、2020年8月までの9ヶ月間、首都ワガドゥーグーに滞在。さらに同年10月から2021年6月までの8ヶ月間をワガドゥーグーで