でした。
しかし、頭の中のどこかではカリフォルニアに行きたいという想いはありました。それから、1年が経った頃、僕は帯状疱疹という病気にかかり1週間の入院をしました。
原因はストレスや過労とのこと。自分では感じていなかったのですが、身体は正直なんだなと気付かされました。
人生初の入院期間、ベッドの上でこれからの人生のこと自分が将来どうありたいかを考える良い機会になりました。
過去あんなにも自分と向き合うことはなかったので、今振り返ると本当に良い時間だったように思います。
そして、、、
「病気が治って一段落ついたら会社に退職の意志を伝えよう」
そう決めました。
決断の理由は至ってシンプルでした。
一度きりの人生やりたいことをやる、ただそれだけでした。
死ぬ間際に「ああ、あれやっとけばよかったな」とは絶対に思いたくなくて、「最高の人生だった、燃焼しきったな」と思いたい。
将来の心配をして、今やりたいことをやらないのは違うんじゃないか、
ありふれた言葉で、浅く聞こえるような言葉かもしれません。でも、一周回って本当にそれに尽きるなとその時は感じていました。
初めてカリフォルニアへ行ってから1年半後、
本当に同じ地に戻ってきました。
先輩は、ほんまに会社辞めて来たんやな(笑)のような感じではありましたが、僕はあの時きっかけをくれたその先輩にはとても感謝しています。
西海岸での生活は、毎日、学校に行って授業が終わると、サーフィンに行って夜はホームパーティーのような日々を過ごしていました。
ある日、YouTubeのオススメから「米ロサンゼルスでフードトラックにチャレンジする日本人」という ”グッと地球便” の動画が偶然にもあがってきました。
また、偶然にもその方がトラックで販売していたのは、日本スタイルのカレーライスでした。
動画→グッと!地球便
動画を見終わると僕は、すぐにFacebookでその方を探し、メッセージを送っていました。どうしても一度お会いしたいです、感動しました、お話を聞かせてくださいと。
快く承諾していただき、僕は学校を休み往復6時間の道のり、ロサンゼルスへ車を走らせました。
瀬尾さん(フードトラックのオーナー)から色々お話を聞かせていただいた後に、その日1日トラックでの仕事を手伝わせてもらえることになりました。そこでの光景が僕には信じられないものだったのです。
トラックの前には白人、黒人の人たちが列を作り日本式のカレーライスを食べるために待っていました。衝撃でした。
(↑一日フードトラックの仕事を手伝った時の写真)
僕は住んでいたサンディエゴに戻り、街にカレー屋があるかを調べました。日本スタイルのカレー屋さんが1つだけあり、
高ぶる気持ちを抑えながら、お店へ向かいました。そこで見た光景が僕のカレーなる人生を完全にスタートさせる瞬間になります。
お店は満席、外にまで並びの列ができていました。
体中に稲妻が走ったかのような人生最大の衝撃でした。
その時、自分がカリフォルニアでカレー屋をオープンしてそこに行列があるという画が頭の中で一気にイメージされ、その瞬間は鳥肌が止まりませんでした。そして体が熱くなったことを今でも覚えています。
そのお店のカレーは、日本の The カレーライスのようなもので、僕が作っているスパイスカレーとは少し違っていました。まだ、カリフォルニアにはない日本のスパイスカレーというジャンルで勝負したい!そう心から思いました。
その日、カレーに必要なスパイスを全て買い揃