カレーに人生を捧ぐ男の話。フードトラックで日本一周一万杯。

カレーに人生を捧ぐ男の話。フードトラックで日本一周一万杯。
2021年秋、愛してやまないカレーを売り日本一周を決めました。1万杯を目標に全国を駆け巡ります。また、旅中に訪れた先では出来る限りその地の物でカレーを作り皆様へお届けします。コロナが落ち着き、世界が平和に戻ればカリフォルニアへ日本スタイルのカレーで挑戦したい。そんな夢からきた今回のチャレンジです。

え、ほぼ毎日スパイスカレーを作ることを始めました。ルームメイトだった、サウジアラビア人、トルコ人の2人にも毎日カレーを食べてもらっていました。いつからか僕のあだ名はカリーシェフになっていました。

また、アメリカでの飲食開業の情報収集、飲食経験がゼロということもあり、日本食レストランでアルバイトも始めました。

そして僕は、カリフォルニアでカレー屋開業という夢に向け一歩を踏み出したのでした。

それから数ヶ月が経ち、コロナという前代未聞のウイルスが地球にやってきました。

カリフォルニアは世界でも早い段階でロックダウンに入り、学校・飲食店は全て閉鎖され、海にも入れない状態になりました。

2020年3月当時、まだ日本ではコロナは流行していなく苦渋の決断ではありましたが一度日本へ帰ることを決めました。

2020年4月、日本でも緊急事態宣言が発令され、そしてコロナは全世界に広がっていきました。

そして、僕は、実家暮らしのニートになりました。

何か自分にスキルがあったわけではなかったので、フードデリバリーの配達員を始めました。1日中大阪市内を自転車で駆け回って日給5000円。

その他にも、デイトレードやアフェリエイトにも手をつけました。しかし、月20万円にも満たない給料でした。過去自分がどれだけ恵まれていたのか、お金を稼ぐ大変さを知りました。それと同時に、企業の看板がなければ何も出来ない一般以下の男だということも知らされました。

カレー屋の夢は諦めてはなかったですが、一時期は本当に再就職するか悩んだタイミングもありました。

それから3ヶ月が経ったころ、僕の元に1つの話が来ました。大学時代の繋がりでサークルの後輩から

「シーシャバーをオープンするので、店長やりませんか?カレーも作れますよ。」

とオファーを受けたのです。

正直、とても悩みました。しかし、当時の僕には選べるような贅沢を言える状態ではありませんでした。そして、ワラにもすがる思いで引き受けました。

そして、シーシャとスパイスカレーのお店ということで大阪心斎橋にオープンしました。

それからは、日替わりでスパイスカレーを作る日々が始まりました。食べてもらった友達からは、フィードバックをもらい、時にはもっとこうした方が良いだとかリクエストももらいながら日々カレーのレベルアップに励みました。出張でカレーを作りに行ったりもしました。

そして、もうすぐ1年になります。

この1年で50種類以上のカレーを作りました。

カレーのレシピ本もたくさん読みました。

カレーマイスターの資格も取得しました。

週に1回スパイスカレーの有名店でアルバイトもさせてもらっていました。

イベント、フェスにも出店しました。

自分は人一倍に怠惰だと自覚しながらも、この1年やれることはやってきたつもりです。

これを機に人生初めての独立、フードトラックで開業することを決めました。

フードトラックをする理由は3つあります。

1つは、自分の作るカレーを日本全国の人に食べてもらいたいからです。スパイスカレーは大阪が発祥でまだ歴史が浅く、ここ数年で大阪でスパイスカレーブームが起き、今では本当に美味しいカレー屋さんが多く、カレー激戦の地となっています。しかし、地方や離島ではまだまだスパイスカレーのお店は少なく認知がない場所もあります。

人生をも変えるほどの、スパイスカレーをもっと多くの人に知ってもらいたい、食べてもらいたい。フードトラックがあればどんな場所にも行くことが出来ます。そして、全国各地で自分が今作