将棋会館の歴史
はじめに、関西将棋会館の歴史についてお話いたします。
昭和2年5月に日本将棋連盟「大阪支部」が誕生し、東西の将棋界は統一されました。
昭和12年、新聞紙上で「坂田木村大棋戦」と銘打たれた”眠れる獅子”阪田三吉八段と”指し盛り”の木村義雄八段の対局があり、のちに”南禅寺の決戦”といわれる大勝負でした。
昭和17年に本市出身で活躍された中井捨吉六段(当時)の自宅に戦時下の疎開対策として事務所が移転されたそうです。
戦後、関西本部棋士会で毎年のように「会館新築」の議論があったようですが、むなしく消えました。
ようやく機が熟し、昭和52年2月に関西会館の新築が決議され、その4年後に関西将棋会館は竣工しました。
それから、40年という時間が流れ、西の聖地として様々なドラマを繰り広げられた関西将棋会館は、日本将棋連盟創立100周年という記念すべき節目の時期に新会館をオープンされることになります。
次の100年に向けて、新たな歴史が高槻市で刻まれることとなります。
新たな歴史刻まれる高槻市の風景
07−2 関西将棋会館が舞台となった数々の対局
次に、関西将棋会館が舞台となった対局は数多くありますが、その中でいくつかご紹介いたします。
第34期棋王戦予選 内藤國雄九段VS豊島将之四段(当時) 第68期王将戦1次予選 杉本昌隆七段VS藤井聡太六段(当時)
第31期女流王位戦五番勝負 第3局 里見香奈女流王位VS加藤桃子女流三段(当時)
第91期ヒューリック杯棋聖五番勝負 第4局 渡辺明棋聖VS藤井聡太七段(当時)
08 次の100年に向けて
現関西将棋会館には、対局室をはじめ将棋道場や売店、また、今は閉鎖されていますが、日本で初の将棋博物館も併設されていました。
将棋を通じて人と人を繋ぐ場として、ファンから愛され、「将棋の聖地」と呼ばれるようになりました。
しかし、そんな将棋の聖地である関西将棋会館も建設から40年が経ち、老朽化が進んでまいりました。
また、老朽化だけではなく、ネット配信するための設備やバリアフリー化のほか、セキュリティ面での問題を抱えています。
さらには、年々増加する対局に対応するための広さも求められています。
新会館はこれらの問題を解決し、これまで以上に将棋ファンから愛される「将棋の聖地」を目指します。
私たちは、将棋のまち高槻として、これまでもタイトル戦を誘致したり、日本将棋連盟と連携しこども将棋教室を開講したりと、将棋文化の振興と将棋を通じたまちの賑わい創出に取り組んできたところです。
しかし、日本一の将棋のまちへの旅は、道半ばであり、本市で新たに出発する新関西将棋会館とともに、歩んでいきたいと考えています。
今回、日本将棋連盟からは、厳選された移転記念のオリジナルグッズをリターンとしてご準備いたしました。
本プロジェクトにご賛同頂いた皆様への真の御礼は、豊島竜王や藤井二冠のような棋士を新会館から多く誕生させること。
また、将棋を通じて”こどもたち”が大きく成長する姿をみなさまに見て頂くこと。
さらには、日本固有の文化である将棋文化を高槻市からさらに盛り上げることと考えております。
次の100年に向けての取組は、時間がかかるものではありますが、この挑戦にご寄附を頂けるみなさまと一緒にプロジェクトを進めていきたいと考えております。何卒、よろしくお願い致します。
09 リターンの紹介
このプロジェクトを成功させるべく、ご支援頂いた方々へのリターンについて、日本将棋連盟ととも