、10人の先生で、運用できるようになりました。
なぜ、スリランカで幼稚園を?
私たちの幼児教育の始まりをお話しましょう。私(淳子)は、2000年にスリランカ人のラクナースと結婚、東京で仕事をガンガンしていました。2人目の子どもが生まれると、歩いて5分のスーパーに買い物に行くのも面倒になり、仕事にも集中できなくなり、だったらスリランカでのんびり子育てもいいかなあ~、と軽い気持ちで家族4人でスリランカへ移住しました。子どもは4歳と2歳。すぐに近くの幼稚園に入れたのですが……。先生はムチを持っていて、歌も歌わず、遊びもなく、やっていたのは文字や数字のドリルばかり。休憩時間に子どもたちが園庭に出でも、先生は突っ立ておしゃべりに興じていて、ほったらかし。「えーーーーーーっ!!!!!! 」私たちは目が点になってしまいました。「子どもの目の高さで、子どもと話してください」「子どもと一緒に歌いましょう」「こんな遊びはどうですか?」「折り紙をやってみませんか?」などと、いつの間にか私たちは、口を出し、手を出すようになりました。そして半年後、子ども用のトイレを設置・寄贈したのをきっかけに、夫のラクナースが園の責任者として携わるようになりました。まず私たちが始めたのは、絵本の読み聞かせ、です。子どもの楽しい時間を作ろうと、家にあった絵本やおもちゃを持ち出して、園の改革に取り組みました。もちろんムチは廃止、教室のドアに鍵をかけることも禁止しました。普通のサラリーマンをしていた私たちは、幼児教育に関しては全くの素人。4年間子どもを預けていた保育園の知識しかありませでしたので、ラクナースは幼児教育の学校へ通い、資格を取得し、幼稚園の改善・発展に努めました。子どもの教育に関心があっても、幼稚園をやるつもりでスリランカへ来たわけではなかったので、自分の子どもが卒園するのと同時に、私たちも園の運営から手を引くことにしました。ところが、ラクナースにみて欲しいという、子どもや親御さんがいて、「5、6人だったら、私たち二人でもできるね」と、自宅で幼稚園を始めることになったのです。
12年目のユニカル幼稚園
就職するときよりも、結婚するときよりも、子どもを産むときよりも、強い気持ちと覚悟をもって、 「命を預かる仕事、命を育てる仕事」として、私たちはユニカル幼稚園を開園しました。子どもは種。将来、枝葉を広げ、ステキな花を咲かせ、立派な実をつけるために、今はしっかり根を張ることが重要。そのために私たちは畑を耕す。よい土を整えれば根は育つ。根さえしっかりしていれば後はぐんぐん育つ。雨、風、日照りにも負けない。目に見える双葉の生長よりも、目には見えない根の生長に努めよう!ーーという姿勢で、私たちは子どもたちと向き合っています。運動会、お正月祭り、学芸会のほか、フルーツサラダデー、野菜スープデー、お泊まり会などの行事を通じて、子どもの主体性、自主性を育てています。特に “達成感” を獲得できるよう、いろいろなプログラムを仕掛けています。
この10年間、子どもたちに向き合うなかで、私たちは重要なキーワードを見つけました。「Understand まず、子どもを理解しよう」「Natural 自然の中で活動しよう」「Intelligence 知恵を身につけよう」「Commend 子どもを褒めよう、認めよう」「Attention 子どもに注目しよう」 「Love 愛情をいっぱい注ごう」。そうです! ユニカル UNICAL の頭文字です !!
地域をリードする幼稚園として
私たちの「子どもを尊