棺で眠りたい!インテリアとしても使える!使い方はあなた次第で無限大の棺家具

棺で眠りたい!インテリアとしても使える!使い方はあなた次第で無限大の棺家具
夢と願望が叶えられる棺型家具を企画しました!大田区代表ゴシックデザイナー後藤ききと、工業の町大田区から、技術の詰まった棺型家具を発信したい!カスタマイズオーダーで自分だけの棺が作れます★日常でも使える棺家具で、お家時間が多いこの時期のライフスタイルにワクワクをお届けいたします。

ってみたり。

撮影に使ってみたり。

普段はインテリアとしてお使い頂けます★

家に帰ったら棺でくつろごう!

そう思うとお家時間がワクワクしちゃいますね★

大田区には色々な工場が沢山在ります。
以下大田区ホームページより↓

大田区の工業は、製造業事業所数と従業員数、従業員4人以上の事業所における製造品出荷額について、東京都特別区中第1位となっております。
【平成28年現在の数(経済センサス-活動調査)】

工場数  4,229(ピークの昭和58年には9,190件ありました)
従業員数(従業員4人以上の事業所)  21,869人(昭和60年をピークに減り続けています)
製造品出荷額(従業員4人以上の事業所)  48,775億円

また、従業員1人から9人の工場が全工場の約70%を占めており、大田区の工場のほとんどが従業員の少ない、小さな工場であることが分かります。

このように、小さな工場が発展した理由には、次のようなことが考えられます。
1 工場と住まいが近い(もしくは一緒)
2 従業員全員が家族のように仲良し
3 近くの工場同士が協力して、お互いの専門技術を生かした仕事をしている
4 急ぎの仕事にも全員で対応している
5 みんなで工夫して技術を磨いている

大田区工業の歴史

このように工業の発展にも一役買ってきた大田区★

そんなモノ作りに強い大田区は、色々なモノの発祥の地でも在るんですよ。

あげパン
給食の人気メニュー「あげパン」は、昭和27年ごろ、嶺町小学校の調理師さんによって考えられたといわれ、当時、硬くなったパンをどうしたら美味しく食べられるかを考え、油で揚げて砂糖をまぶし、病気で学校を休んだ児童の家に届けたそうです。

コスプレ
1978年第8回コミックマーケット(大田区 産業会館)で「海のトリトン」の衣装を着た参加者が現れ、この頃から現代の「コスプレ」が始まったといわれています。
産業会館が立地する蒲田は「コスプレ発祥の地」の一つとなっています。

ユザワヤ
日本最大級の手芸用品・生地・ホビー材料の大型専門店のユザワヤは蒲田に第一号があります。
1955年10月湯沢屋毛糸店として創業し、以後各地に手芸用品店を展開されて居り、コスプレイヤーも御用達です。

そして、蒲田には松竹キネマ蒲田撮影所がありました。

歌舞伎や文楽などの演劇界で興業していた松竹は、大正9(1920)年、本格的に映画会へ進出するために松竹キネマ合名社を蒲田に設立。
俳優たちが住み「流行は蒲田から」と言われ「キネマの都」として全国に名が知られていたそうです。
昭和11年1月に蒲田から神奈川県大船へ移転し、蒲田撮影所の跡地は、大田区民ホール・アプリコになっています。

何と!お化け屋敷も!?
1830年大森の医者 瓢仙(ひょうせん)が「大森の化け物茶屋」を自宅の庭に作り、これが現在のお化け屋敷の原型と言われているそうです。

実は!破魔矢も?!
お正月の縁起物の「破魔矢」は矢口にある武蔵新田神社が発祥なのだそうです。
江戸時代に平賀源内が矢守として考案したそうです。

このように大田区は、産業と最先端の技術と、流行、ファッションまで密接な関係のある凄い場所なのです!

お化け屋敷なんてゴシックな場所も、大田区が発祥なのは驚きですね!

私が独立をしてデザイナーを始めた頃から、色々な工場や製造業者さんとお仕事をして来ました。

後継ぎが居なかったり、ファストファッションの流行に対し、海外や大手工場に仕事が集まってし