創業30年赤坂のボサノバ&ジャズクラブ「kei」ご支援のお願い

創業30年赤坂のボサノバ&ジャズクラブ「kei」ご支援のお願い
1992年に東京・赤坂でスタートしたライブ音楽のお店です。多くのミュージシャンによる生演奏とお食事をお客様に楽しんでいただき、ブラジルの音楽文化とジャズ界の発展に努めてまいりました。しかしながら二度にわたる緊急事態宣言により、営業を続けていくのが困難な状態です。どうか、皆様のお力をお貸し下さい。

ご挨拶

皆様へ、赤坂にて30年となります「ボサノバ&ジャズクラブ・ケイ」へのご支援へのお願いです。「ボサノバ&ジャズクラブ・ケイ」を歌いながら経営を致しておりますケイ石田と申します。宜しくお願い申し上げます。この未曾有の事態、コロナウイルスの感染拡大により、お店のお客様が途絶えてしまい、売上は9割落ちて大激減してしまいました。都からの感染防止協力金の支給や、港区からの融資にて借り受け致しましたが、大阪でいち早く発生したライブクラブのクラスタ-に端を発したことより、ライブクラブへの風当たりが厳しく、お店の経営収入となる生命線が絶えて、日々かかる経費へ放出してお店を守ってきておりますが、わずかとなってしまい、これから先の営業は続けられていくのか、困難な状態となってしまいました。再三の緊急事態宣言にて、休業に時間短縮営業、これではお客様は遠のく一方となってしまってます。解除されても、お客様が戻ってきてくださるのか、心配だらけです。このような苦境に立たされ、この先が不透明な不安な状況に、クラウドファンディングと云う形態で助けていただき、皆様のお力をお借りすることを決心いたしました。

30年を迎える年月を赤坂の地にて、皆様からの温かい叱咤激励をいただいて、ボサノバとジャズのライブ演奏をお届けしていますお店を、たくさんのミュ-ジシャンの力をお借りしながら存続する事が出来ております。また、ミュ-ジシャンにとりましても、活動のステージの場です。また、お越しいただく皆様方と出会い集う所。ライブ演奏を聴きながら、当店自慢の、ブラジル人の本場ブラジル料理を召し上がりながら過ごされて行く、至福の宝物が詰まった場を、どうしても失いたくないのです! どうか皆様、お力添え、ご支援を心よりお願い致します。

ケイのお店の物語り

ボサノバ&ジャズクラブ・ケイは、1992年に赤坂に於いて、有限会社・ケイ・セェイ代表取締役、石田貴志代(ケイ石田)がUSAベーシスト、Stan Gilbertと始めましたボサノバとジャズの生演奏を中心にしたライブクラブです。会社名ケイ・セエイの由来は、私のケイ・Kと、スタンギルバ-トのSに、Entertainment International からの、エ、イ、Sをセと発音し、発信! 云う! との意味合いを込めまして、セェイ!としました。

国際的ベ-シスト、Stan Gilbertが日本に居住し、USAのトップミュージシャンを招聘、様々なステージへの出演活動をする事をも目的とした会社です。Stan Gilbert はUSAのジャズシ-ンをプロデュ-スし、フレディハバ-ド(tp)ヒューバ-ト・ロ-(fl)ケニー・バレル(gu)ハービ-・メイソン(ds)ダイアン・リ-ブス(vo)ダイアン・シュア(vo)スライド・ハンプトン(tb)セルシオ・メンデスのギタ-、クレバ-・ジョ-ジ(gu) 他、多数の世界的トップジャズプレヤ-と共演しておりました。この中の何人かのビッグネ-ムのスタ-プレヤ-と、日本各地にてのコンサ-ト、また、ケイのお店を拠点にし、特別企画にてライブ演奏を展開しました。このようなジャズシ-ンを、個人のライブクラブが演出していた事は、当時としてはまだ、画期的な店でした。私とスタンギルバートとパートナ-シップで築いて来ましたが、5年前、持病の糖尿病の悪化でスタン・ギルバ-トは帰国いたしました。ケイ石田はその後も、単独で経営し続けています。

ケイ石田は、1968年に作曲家中村八大氏の推薦を受け、ブラジルサンパウロの小野敏郎氏(小野リサ父君)