はじめまして。
やきものの産地、愛知県瀬戸市にある窯元「瀬戸本業窯」八代目・水野半次郎を継ぐ、水野雄介です。
今回、「瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム」(瀬戸民藝館)の開館をめざし、初めてクラウドファンディングに挑戦します。
まずは私たちがどんな街にある、どんな窯元なのか、ご紹介いたします。
私たちが工房を構える愛知県瀬戸市は、「せともの」という言葉の由来にもなった、日本で最も古くから、やきものの表面にガラス状の釉薬(ゆうやく)を掛けたやきものを本格的に製品にした土地です。
中世から現在まで続く日本の代表的な6つの産地「日本六古窯」のひとつで、文化庁による日本遺産にも認定されています。市内にはやきものづくりが盛んなエリアが4か所あり、私たちが活動するのはそのなかのひとつ「洞(ほら)地区」です。
江戸時代後期に薪を燃料とする登り窯(のぼりがま)が建ち並び、陶器をつくる窯と工房の一帯を総称して「本業窯」と呼び、暮らしに必要な壺、甕(かめ)、鉢、皿をつくり続けていました(瀬戸では古くから、陶器を「本業」、磁器を「新製」と呼んできました)。
私たちの工房の名前は、それらから由来しています。
昔ながらの製法でつくる伝統的な器。
私たちの手がける代表的なやきものは、日常の器である「石皿(いしざら)」「馬の目皿(うまのめざら)」「麦藁手(むぎわらで)」、灯りをともす「行灯皿(あんどんざら)」です。
江戸後期につくられた馬の目皿。
これらが盛んにつくられていた江戸時代の製法をベースにして、登り窯がガス窯に変わった以外は、ほぼ昔のままのやり方で、ひとつ一つ手仕事でつくっています。
釉薬場。市内で採れる赤松などの木を灰にして釉薬をつくる。
第二次世界大戦後の祖父の時代に日本経済はおおきく発展し、ものづくりの現場では効率や利益を求め機械化が進み、本業窯にとっては苦しい時期でもありました。
左からバーナード・リーチ、濱田庄司、祖父の六代目水野半次郎。
しかし、名もなき職人による手仕事の美しき日用品に光を当てた「民藝運動」の中心人物である思想家の柳宗悦、陶芸家の濱田庄司とバーナード・リーチが、この頃、本業窯にも訪れて私たちの仕事を高く評価いただき、それが私たちの大きな励みとなりました。
今回、私たちは築70年の資料館を改装し、瀬戸のやきもの文化の保存、伝承、活用、発信、体験を目的とする複合施設の開館をめざしています。
工房の隣にある資料館。この建物の1・2階を大きく改装します。
外観のイメージ。
瀬戸のものづくりには、さまざまなものがあります。
時代に合わせ、求められるやきものをつくってきた結果、現在でも、和洋食器はもちろん、置物、ノベルティ、建築陶材、碍子、ファインセラミックスがあり、やきものをすべて網羅した総合百貨店のような土地柄です。
現在の資料館の様子。
そんななか、私たちは歴史を振り返りながら、本業窯が誕生する江戸時代、あるいはそれ以前から続く、瀬戸のものづくりの原点に近い仕事を続けてきました。
私たちの役割は、先人達より受け継がれてきたものづくりの文化と合わせ、人をつなぎ、その背景にあるうつわと共にあった瀬戸の「暮らし」を伝えていくことだと考えています。新しいミュージアムはそれらを体現できる場所にしていきます。
現在、来年のオープンに向けて準備を進めています。
まだ変更する可能性はありますが、館内に入ってすぐのスペースには、これまで別棟にあったギャラリーショップを移転し、買物エリアとします。その先から有料の展示コー