約250年続く窯元に瀬戸のものづくりと暮らしを伝える「瀬戸民藝館」を開館したい!

約250年続く窯元に瀬戸のものづくりと暮らしを伝える「瀬戸民藝館」を開館したい!
やきものの産地、愛知県瀬戸市で約250年続く「瀬戸本業窯」。地元・瀬戸で採れる原料をもとに、江戸時代からほぼ変わらない手法で、やきものをつくり続けています。そんな現役の窯元が、新たな「瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム(瀬戸民藝館)」オープンをめざします!

ナーとなり、大きな鉢から小さな皿に至るさまざまなやきものが並ぶ予定です。

1階の売り場パース。

1階・展示スペースのパース。フロア中央には新たに階段を新設予定。

貯蔵するための壺や甕(かめ)、調理のための大鉢や摺り鉢(すりばち)、そして料理を盛る石皿(いしざら)や馬の目皿、灯りをつける灯明皿(あんどんざら)など、この地域でつくられ日本各地に広まり使われた暮らしを支えたやきものです。

これまで倉庫として使っていた2階は、うつわのある暮らしの一例の展示とワークショップなどの多目的空間として利用する予定です。本業窯の器は「民藝」のひとつですが、それだけで完結できる話ではありません。全国の土地土地には、漆器、木工、染め織り、ガラスなど、暮らしや生活に根づいた工芸品があります。それらを暮らしの中にどう取り入れていくかを伝えるための場にしたいと考えています。

イベントとして、料理や金継ぎのワークショップや、ほかの産地の人に来ていただき、その土地や工芸品を紹介していただくことなどを考えています。

登り窯の隣りには、私たちが働いている工房があります。ものづくりをしている現場の雰囲気を感じていただけるように、その境界線と導線づくりを進めています。釉薬をつくる場所は、実際にご覧いただける予定です。工房の中にはカメラを設置して、リアルタイムの動画を外から見ていただく仕組みも検討しています。

美術館や博物館とはちがい、実際のものづくりの様子を見ていただくことで、つくり手と鑑賞者の距離感を詰められるようにしたいと願っています。

また、瀬戸市の指定文化財でもある「登り窯」をご覧になれます。私が生まれた1979年までは、薪を燃料とするこの窯を使っていました。以後、灯油燃料の窯を経て、現在のガス窯へと変わっています。現在は、この登り窯を40年ぶりに焚くことや新たに築窯するプロジェクトも動きはじめています。

瀬戸市の文化財にも指定されている登り窯。
大量に置かれている板や柱は、焼成の時にやきものを焼く棚として使われた窯道具。

民藝館を開きたい。
これは、現在の資料館をつくった祖父の成し得なかった壮大な夢でした。瀬戸のやきものはもちろん、日本各地の工芸品を愛した祖父の強い思いでした。

あれから時が経ち、実際に動くきっかけとなったのは、もう20年ほど前のこと。はじめは建物の老朽化問題でした。七代目・半次郎である父、そして母から、屋根の老朽化により水が漏れるという悩みを聞き、工事費の見積もりをとったところ、数百万円かかるとのこと。ただ水漏れを直すだけのために、大金を費やすことをためらい、足踏み状態になっていました。

左から七代目・水野半次郎(父)、水野みち子(母)、私、水野真里(妻) 、前田良美(妹)。

また別の悩みとして、観光客の対応が出てきました。
瀬戸市の観光名所となった「窯垣の小径(かまがきのこみち)」には、昨年のコロナ禍の時期を除き、通常、1年間で1万人近い観光客が訪れています。その多くは私たちの工房にも足を伸ばしてくださいます。

ものづくりの現場を見たい、というお客さまの想いを肌で感じてきました。せっかく興味を持ってくださった方に、私たちのうつわだけでなく、瀬戸ややきものの歴史をお伝えしたいという半ば使命感から、祖父の代から応対してまいりました。

左が雨漏り。右は老朽化した瓦。

女性の職人が多い工房内の様子。しかし、ここは個人のいち窯元です。年間2万個から2万5000個のやきものを、粘土や釉薬にはじまるすべてを、従業員8名で手仕事でつくってい