はじめまして
「貴布禰神社火災復興委員会」です。
「放火」による全焼という耐え難い被害を受けました、 北九州の「貴布禰神社 」
その復興に向けてご賛同いただける方に、是非ご支援をお願いいたしたく今回のプロジェクトを公開させていただきました。
1.「放火」による「貴布禰神社」本殿全焼
400年以上の歴史があり、地域に愛される「貴布禰神社」
さる11月9日、放火により本殿が全焼。
100年以上前につくられた大絵馬も焼損するという言葉に言い表せない、悲しい出来事がありました。
平時の写真
平時 元旦祭り
2019貴布禰大祭
焼失後の写真(本殿)
この様な惨状を目の当たりにしたわたし達は、呆然と立ち尽くすしかありませんでした。
幸い、神輿の損失は免れたものの100年以上の歴史ある「大絵馬」は消失
焼失後の写真(大絵馬)
被災前の大絵馬
本殿は、建て直しが必要
見積り概算で「2,000万円」もの費用が必要と判りました。
元々、ひっそり佇む小さな神社のため、観光収入等もありません。
このままでは、本殿のみの再建になり、参拝のための拝殿の再建は諦めざるを得ない状況でした。
しかし・・・
「このまま途絶えさせる訳にはいかない!」
私達は、すぐさま「貴布禰神社火災復興委員会」を立ち上げ 、再建に向けて動き出しました。
■プロジェクト実行者紹介
「貴布禰神社火災復興委員会」委員長
・貴布禰神社とのご縁について
地域にとっても歴史的価値としても、このままという訳にはいかず、すぐさま再建に掛かる費用を見積もりました。
その額、およそ2,000万ということでした。観光地でもない小さな町にとっては非常に大きな負担で、その金額の大きさに愕然としました。寄附金集めは、すぐはじめたが、なかなか集まらず・・・反面、長浜の住民ではない人たちからもたくさんの支援をいただいていることにとても驚き、感謝しています。
これから更に活動を本格化させていく中、 賛同いただける方には広くご協力を仰ぎたいと 今回のプロジェクト公開となりました。
2.「貴布禰神社」とは
水源の神「高龗神(たかおかみのかみ )」を祀る全国の貴船神社の総本宮は京都にございます。水源は生命の源であり地域の重要な場所でもあります。
戦国末期(1569)に築かれた小倉城。小笠原氏は1632年に入国しました。本州と九州を結ぶ要として城下町は繫栄しました。
↑photo by 中山 肇
漁師町である長浜町の移転とともに貴布禰神社も現在の地に移されました。水源を司る高龗神は400年を超えて小倉の海とともに街の繁栄を支えてきました。
長浜の貴船神社は「蛭子堂(おいべっさん)」とも呼ばれ、商売繁盛のご利益、 漁業の神・商業の神を お祀りしており、航海安全、漁業安全、 商売繁盛、運気龍昇、えんむすび、諸願成就などの御神徳があるとされています。
・あなたの街にも「貴布禰神社(貴船神社)」がありませんか?
引用元:wikipedia「貴船神社」より
3.長浜地区と貴布禰大祭について
貴布禰神社の神輿は、江戸時代に小笠原藩から下げ渡された400年の歴史を持つ神輿で担ぎ手は200人が必要と言われるほど重量のある神輿です。貴布禰大祭 (春季例大祭)で披露されます。
・例年、約90分かけて地域を練り歩きます。
・400年分の重みを背負って
・アラィセーコラィセーの掛け声とともに
この様に地域に根ざしながら長きに渡り 伝統行事も営まれてまいりました そんな「