インディペンデント映画「復活」DVD化プロジェクト

インディペンデント映画「復活」DVD化プロジェクト
WW2末期を時代背景に、池袋モンパルナスの世界と天才戦没画家靉光の半生をモチーフに制作された自主制作映画「復活」。この映画をインディペンデント上映のみでなく、より多くの方々に観ていただくために、DVD化するプロジェクトです。

ました。映画の中でもこの歌は歌われますが、このドキュメンタリーが世に出ていなければ、そのシーンを撮ることは難しかったかもしれません。そんなわけでおそらく、現在動画として池袋モンパルナスの歌が観られるのはこの「復活」だけだと思います。

何を隠そうその池袋は、私がこの世に生を受けて最初の1年を過ごした町です。その後郊外で暮らすようになりましたが、中学高校生になり世の中に出て行く時は、必ず池袋をターミナルとして出て行くこととなり、私にとっては言わばまさに庭のような町だったわけです。

その池袋に、戦前そういう芸術家たちの町があったということは、驚きであると共に、感動的でさえありました。池袋モンパルナスのアトリエ村は戦後次第に失われていきましたが、フィールドワークをするうちに、私はそこで生きた芸術家たちのことを後世に語り継ぎたいと強く思い始めました。多くの人間が暮らした地域には、歴史(ドラマ)があります。それは変化しつつも堆積していく。今自分が暮している何ということもない日常には、実はとんでもない非日常が隠されていて、そういうものを見いだしてはある種の人間はドキドキするわけです。昨今お馴染みの、「ブラタモリ」などはその種の人々に受けている世界だと思います。

多くの書籍や資料が世に出て、豊島区も本腰を入れだしたように思われますが、池袋モンパルナスは依然としてマイナーな認知度に留まっていると思われます。私は映画を世に出すことによって、池袋モンパルナスの精神や、靉光の生き様を現代にまさに「復活」させたいと思いました。

■制作にあたって行動したこと

過去はさておき、まず、「復活」を撮るために、とにかくアトリエ村のあった池袋に住もう、と思いました。2010年の春に実家を出て、豊島区長崎町に引っ越しました。最寄りの駅は西武池袋線「椎名町」駅で、有楽町線「要町」駅も近く、何より気に入ったのは、物件がアトリエ村最大の「桜ヶ丘パルテノン」跡地にあったことです。内見に連れて行かれた場所は、まさにそれまで私がフィールドワークをしていた、アトリエ村集落でも最大の桜ヶ丘パルテノン(第3桜ヶ丘パルテノン)跡で、アパートの隣はまさに当時から残る数少ないアトリエ住宅の一軒が建っている場所だったのです。ワンルームの狭い部屋ではありましたが、いよいよ腰を据えてシナリオを書き上げようと決心しました。この池袋モンパルナスの聖地は、それまで住んでいた練馬からもそう遠くはないとは言え、やはりフルタイムで働きながらではそう頻繁に足を運べない所でした。何と言ってもそのフィールドワークの現地に住むに如くはなし。住み始めてからは、土日の休みには朝から近所を歩きまわり、近所のギャラリーのご主人たちとお話をしたり、集まった人々と情報交換ができるようになりました。住んでいるアパートの対面の家は、桜ヶ丘パルテノン時代はアトリエ村の村長とも言われる井上長三郎氏が住んでいた場所だったとか、隣のほぼ当時のままの姿を残すアトリエ住宅に住んでいたのは、荒巻茂という彫刻家だったとかいうことが、だんだんと分かってきました。忘れてならないのは、椎名町駅近くにある<ギャラリーいがらし>の五十嵐健市氏の協力で、時々訪ねてはお話をする中で、数々の助言をいただきました。彼のご尽力により現存するアトリエ住宅の中で最も原型を留めている「西田アトリエ」内部での撮影が可能になったことには、心から感謝しています。
※五十嵐健市氏は2016年11月、ご逝去されました。感謝とともにご冥福をお祈りします。

■「復活」の胎動

この2010年