ルでTOKYO MXにて放送中のアニメに蓑笠鍛冶屋と言う名で登場させて頂いております。蓑笠鍛冶屋の店主が蓑笠穣(みのかさ みのる)と言うのですが、9代目父の名前が蓑毛稔(みのも みのる)なので9代目も登場してるのかもです。
そのお陰でファンの方からは聖地として多くの方に訪れて頂き、たくさんの人に愛されています。被災後もたくさんのファンの方が遠方から心配して訪れて頂き大変元気を戴きました。
本当に感謝しております。
《左がゲームの蓑笠鍛冶屋、右が蓑毛鍛冶屋》
《レヱル・ロマネスクでのワンシーン》
《被災後もファンの方が訪れてくださいました(戴いた大切な物)》
“お客様と共に造ってきた私作MBKナイフ”
今、大変盛り上がっているキャンプブーム。私もキャンプが好きだったこともあり鍛冶屋を継いでからはナイフを造るのが楽しくて楽しくて祖父と父の真似をしてずっとナイフを造ってました。
ご来店頂いたお客様やユーザーの方々と話すことでいろいろ学び、工場でその言葉を思い出しながら改良し少しずつ今の形になりました。
今造っているナイフはお客様と共に造ってきたナイフです。
また、アウトドア関係の方々とも有難いご縁があり、今では色々なアウトドアイベントに呼んでいただき、人吉市のふるさと納税ではナイフがとても人気の返礼品となり、蓑毛㊀鍛冶屋のナイフを全国の方々に使って頂いております。
《アウトドアイベント、展示会でのナイフの様子》
“祖父/蓑毛裕、森の名人受賞”
8代目の祖父は中学校卒業後16歳で鍛冶屋の道へ進みました。16歳から現在86歳まで70年間鍛冶屋一筋、腕一本で蓑毛鍛冶屋を守り続けてきました。
林業が盛んだった頃は、造林鎌、鉈、腰なたなどの山道具の需要が多くとても忙しかったと聞きます。
その林業の発展を支えたことを賞され、2018年に森の名人と言う名誉ある賞を戴きました。
《森の名人認定証と授与》
《仕事の様子(割込鍛接)》
“父/蓑毛稔 今までにない風を”
父は今までの蓑毛鍛冶屋は黙々と造る昔ながらの鍛冶屋だったのですが、時代の流れもあり父の代からは美術展に出展したり、工芸仲間との展示会を開催したり、鍛冶体験を始めたりと新しい事にチャレンジしてきました。
《TSUTAYAで工芸仲間との展示会の様子》
また腕もピカイチで、仕上げに関しては祖父も凄かと認め多くの人が息をのみ誉める程です。
《祖父が鍛え父が仕上げた刺身包丁》
《仕事の様子(刺身包丁の裏空き)》
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このように私が継いでから親子3代で頑張り、回りの方々にも助けて頂きながら色々なことにチャレンジし頑張ってきてました。
しかし、コロナウイルスの影響で鍛冶体験は今も中止しており、観光客の減少で店舗を訪れるお客様も激減し不安な日々を過ごしておりました。
そんな中・・・
■ 街中が水の中に沈んだ令和2年7月4日。
前夜からの線状降水帯で降り続いた大雨により発生した球磨川、球磨川水系の氾濫により、私どもの住む人吉市は過去に経験したことのない大きな水害に見舞われました。
自宅兼店舗のある商店街は球磨川までわずか50メートルほど。目の前を流れる球磨川から押し寄せてくる水に、なす術もなく、約4.3mの浸水被害を受け2階に避難させていた大切な商品達も大きな被害を受けました。
《自宅兼店舗周辺の様子と被災した商品達》