「東日本大震災から10年」石巻の極上の牡蠣でコロナ禍の日本中に恩返しがしたい!

は前年に移転をしておりまして、もとの場所にあったら壊滅状態だっただろうとのことです。

病院につくと、そこには妻の姿があり、私は妻と一緒に泣き崩れ、そのまま病院で朝を迎えました。

翌日、自宅に帰ろうと行けるところまで車で向かい、知り合いの高校からボート部のボートとオールを借り、ボートで自宅を目指しました。

私の当時の自宅は2階建てで、1階の上まで水に浸かっており、2階から家に入りました。

そこには奇跡的に逃げ延びた両親がいました。

両親曰く、自宅から見た夜空が真っ赤に染まっていたとのことで、それは南浜町の火事でした。
南浜町一帯は戦争ドラマで見た「戦争の焼け野原」そのものでした。

まっくろこげになった死体がそこら中にあり、自身の身内を見つけた方が車の中で焼死体を見て泣き崩れているシーンが脳裏にこびりついています。

それから5日間、まったく水がひかず、ボートで周りの方にご飯を配り、妊婦さんやサポートの必要な方をボートと車で赤十字病院に送って…というのを必死になって5日間行いました。

病院は更に悲惨で、病院の外でブルーシートの上にたくさんの人が横たわっており、赤とか青のテープで「この方は亡くなっている」「この方はまだ息がある」という選別を行っているのを目の当たりにしました。

ドラマや映画以上のことが目の前で、石巻で起きていました。

小網倉漁港の被害と現在

※現在の小網倉漁港
我々が今回ご提供させて頂く牡蠣の舞台、「小網倉漁港」の被害をご紹介します。
当然、海の目の前ですから漁港も甚大な被害を被りました。
牡蠣剥きの施設は全部波にさらわれて無くなり、防潮堤も崩れたりさらわれて無くなり、船着き場の船のフック(輪っか)をかける部分、というと皆さんに伝わるでしょうか?それが地盤沈下で沈んでしまい、周辺の民家も跡形もなくさらわれていました。

現在は、護岸工事で船着き場は元の状態に嵩上げされて元通りになり、震災から4年後には牡蠣剥き場も新しく建ちました。

しかし、防潮堤はまだ工事が続いており今年2021年中の完成を予定しているとのことです。

※高さ10m弱の防潮堤で海が見えなくなりました。(命には代えられません)
皆様への感謝の思いを極上の牡蠣に乗せて…

甚大な被害を被った我々が住む石巻市、まだまだ手が回っていない部分、土地も多々ありますが、この10年でかなり復興したと感じています。

それも、周りの皆さんのご協力、ご支援あってのことだと現地に住む者として痛感しております。
震災直後、たくさんの県外の方が助けて下さいました。

・毎週のように大型バスで復興のお手伝いにたくさんの方がいらっしゃってくれたり
・企業の方が浜のほうにいらして下さり、お手伝いをして下さったり
・わざわざ高校の修学旅行を石巻に設定して下さり、ボランティアを学生さんがして下さったり
・たくさんの支援物資を全国から頂戴したり…

と挙げるときりがないくらいのご協力を頂戴しました。
この場を借りて、皆様に御礼を申し上げたいと思います。

現在、新型コロナウィルス感染症の影響で、日本中がとてもしんどい状況にあり、皆様大変な苦労で毎日過ごされていることと存じます。

あの時頂戴したご恩を、今度は我々がお返しする番なのでは?と個人的に感じております。

我々ができること、それは

「自慢の極上の牡蠣をお手に取りやすい価格で日本中に届けること」です。

我々の自慢である小網倉の極上の牡蠣を日本中に届けることで少しでも恩返しが出来ればと考え当プロジェクト立上げに至り