【教育】誰でも夢を見ることができるように【遺児支援】

【教育】誰でも夢を見ることができるように【遺児支援】
誰でも夢を見ることができるように、あしなが育英会の募金にご協力お願いします。

ここまでページをご覧いただきありがとうございます。

はじめまして、グッナイ小形といいます。

東京都内を中心にシンガーソングライターとして音楽活動を行っています。

今回、あしなが育英会 Ashinaga Global 100 Challengeに賛同して

ファンドレイザーとしてクラウドファンディングに挑戦させていただくこととなりました。

写真©小岩井ハナ

◎本プロジェクト参加の経緯

僕は、北海道に生まれ、育ちました。幼少期から音楽に触れて生活してきましたが、まさか自分が本当に音楽をすることなんて思いもしませんでした。

転機は、24歳の時です。学生だった僕は、やりたいことが全てうまくいかずに、未来に希望が見えない時期がありました。夜に眠れず、外に出ても人が怖くてどこにも行けず、小さな喫茶店で毎日のように燻っていた時、1970年代に活躍したフォークシンガー「友部正人」さんを聞きました。美しい日本語とすべて包み込んでくれるようフォークの優しさに大きな感動を覚えた僕は、初めてアコースティックギターを手に取ってその人の曲を歌うようになっていました。

すぐに自作の曲を制作して、緊張しながら初めて人の前で歌ったステージを今でも鮮明に覚えています。自分の作った楽曲が、自分の声に乗って人の心に届く喜びは、今までの人生の中でいろいろなことに挑戦しようとしたけれど、そのどれとも違う達成感と喜びでした。24歳という決して音楽を始めるには早くない年齢でしたが、必死にギターを練習して、飛び出すように東京にやってきて、音楽を続けています。今ではレコード会社から全国流通のCDが発売され、少しずつ夢に近づいている毎日に充実感と使命感を持ちながら暮らしています。

◎本プロジェクトで実現したいこと

僕が音楽を始めて、東京に行こうとした時、いろんな人が驚いた顔をしました。突然24歳のなんともない学生が、音楽をやるという選択をしたのですから。たくさんの人は応援してくれましたが、中には苦言を呈する人だってたくさんいました。「そんなに甘い世界じゃない」「なめるな」そんなことをたくさん言われました。東京に行ってからも、駅前で路上ライブをしていても「へたくそ!」と怒鳴られたりすることだって。何をやっても中途半端だった自分だったから「音楽も途中で終わるんじゃないか」なんていつも不安でした。でも、ずっと自分の音楽をやっていると、自分は変わらなくても周りの人たちの反応がどんどん変わってくるんです。いつの間にか多くの人に僕の唄が届いて「いいうたをうたう人」とたくさんの人に言われるようになりました。

僕にとっての「音楽」は、こびりつくようにやめられないものです。いい歌を作りたい、それが全ての生活に向くようになれば、毎日音楽を考えながら暮らすことが本当に楽しくてしょうがない。やめたいと思ってもやめられないこと。それに出会えたことは本当に自分の中で誇りです。同時に、どんなに反対されても、自分がこれだと思うことを続けることができたことがよかった、と思うのです。自分の人生を自分で選択できたこと、それを覚悟をもって続けることができること、それが僕の音楽活動の原点だと思っています。

僕は、僕の経験してきたことしか言えないのだけれど、誰だって夢を見てそれに愚直に努力する権利はあると思うし、それで苦しんでいる人たちがいるなら、手を取り合って一緒に夢を見れたらいいなと、とても思います。僕が喫茶店でフォークソングに出会ったように。日々の中で人生を変えるような瞬間が誰にでも平等に訪れてほしいし