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コロナ禍で1千万円の損失!新型コロナに負けない強いホームになって出発したい。
8 ~ 10 分
01.はじめに
このプロジェクトをご覧いただき、ありがとうございます。
最寄り駅は京急長沢駅
駅前からゆっくり6分ほど歩きます
『ハッピーホーム銀翼の森』に到着
2階デッキからの眺め
いつも気持ちの良い風が吹いています
自然豊かで生活も便利な横須賀市長沢で人生100年時代の新しい暮らし方のモデル事業『ハッピーホーム銀翼の森』計画を立ち上げた、まるやまみちこ(丸山径子)と申します。
月日の経つのは本当に早いものです。私がシングルマザーになって今年でちょうど20年目です。子供を育てて生活していくには資格が必要、介護の仕事ならこれからの高齢化社会で息長く食べていかれるからと考えて、横浜市職業訓練校ヘルパー科を受験。母子家庭枠で合格して訓練金をいただきながら、月曜日から金曜日まで週5日、6か月間、みっちり、理論と技術を勉強しました。介護にしっかり向き合える今の自分の基礎ができたのはこの訓練のおかげです。訓練期間にお休みしたのは、こどもの小学校入学式の日だけ。介護技術の実習は特に厳しくて試験漬け。例えばベッドメーキング、シーツにしわがあってもたるみがあってもダメ、おまけに10分以内に終わらないとダメ。教室が自由に使える土曜日に、こども連れで毎週練習に通いました。二人組でシーツをたたむ練習や、移動の介助、着替えの介助など、相手のいる練習はいつもこどもに付き合ってもらいました。
職業訓練校を受験した頃の写真
私が還暦を迎えて、これからは自分の納得のいく介護の仕事をしたいと思い会社を立ち上げた時に、「じゃ僕も一緒に手伝おうかな?」と言ってくれたのがこの子です。彼には私が介護の仕事をしてきたことで、随分苦労をかけてきました。彼が熱を出していても仕事が休めずに「なるべく早く帰るからね。」の一言で家にひとり置いていかれたり、介護保険の請求の時は深夜まで長いお留守番。帰ってくると晩ご飯の食器が洗ってあって、「ごちそうさま。おやすみなさい!」とメモがあるような生活。でも“一緒に働こう”と手を上げてくれたということは、この仕事を良い仕事だと思って見守ってくれていたのかなぁと、少し気持ちが楽になり、嬉しい気持ちになりました。そんな彼は大学卒業後、料理の腕を磨いて今に至ります。
一番得意なのは肉料理
気分を変えてエスニックも
寒いこの季節はシチューを
さて、私がヘルパーとして初めてうかがったのは84歳の独居暮らしのご婦人。週一回のお掃除のお手伝いでした。介護保険制度では掃除のお手伝いできる範囲も細かく決まっていて、玄関はダメ、窓の外側はダメと、制度と人間の暮らしのすり合わせの難しさを始めて知ったときです。
それ以来、現在まで、ご縁のあった高齢者の方は、数えてみれば500名を超えました。たくさんの人生の先輩にお会いして、たくさんの勉強をさせていただきました。
「丸山さんの料理は美味しいんだけど、もうちょっと小さく切ってくれると食べやすいんだよね」との一言に、「あーそうかぁもう少し小さくねぇ」と、お相手目線でなく自分よがりになっていたことを反省。
認知症は病気とわかっていても声を荒げざるを得ないご家族の大変さ、つらさ、情けなさ、介護はもう他人に任せた方がご本人にもご家族にも良いのではないか思うこともありました。
とても自立心の強い一人暮らしの末期がんの方は医療と介護の連携で最期のぎりぎりまでご自宅を希望されて過ごされました。