はじめに
初めまして。
沖縄でラグビー活動をしている
柴田潤(シバタ ジュン)
宮里拓磨(ミヤザト タクマ)
垣添恵太(カキゾエ ケイタ)と申します。
以上、3名で当プロジェクトを立ち上げさせて頂きました。また下記の項目を一人一人書くと長くなる為、誠に申し訳ございませんが省略させて頂きます。
目次
1.挑戦(柴田、宮里、垣添)
2.ラグビーのきっかけ(柴田)
3.これまでの歩み(宮里)
4.資金の使い道、スケジュール(垣添)
5.最後に(柴田、宮里、垣添)
1.このプロジェクトで挑戦したいこと
私達は、本プロジェクトを通して、
沖縄のラグビーブランドの立ち上げ、
ラグビー人口の向上、大会に関する商品を制作し利益の一部を沖縄ラグビー(花園出場校など)へ寄付。また、沖縄にラグビーの魅力を伝える為、イベントの運営費として利用したいと考えております。
また、ラグビーを通して今後の若者達一人一人の生きていく中の学校では教わらない人間性の勉強や人生の財産になります。
沖縄のラグビーの為に力を貸してください!
2.私がこのスポーツを始めたきっかけ
柴田潤:
はじめまして!私は大阪で生まれ7月で26歳になる柴田と申します。小学校3年生からラグビーをしており歴でいうと17年目になります。本当にラグビーが好きです!
現在は沖縄のグルクンという社会人チームで活動しております。
ラグビーの出会いのきっかけは地元の小学校です。声をかけてくれた先輩の誘いでした。それまでは柔道や水泳などを親の勧めから見学や体験をしましたがやりたいという動機に繋がりませんでした。そこである先輩からお声を頂き自らやりたいと思ったのがこのラグビーでした。
みんなで1つのボールを繋ぎ、荒波を超えボロボロになっても前に進み続ける。まるで人生は山あり谷ありと一緒のように。社会人になって本当のラグビーの魅力に気付きました。
皆さんにはありますか?
『辞めたいけど辞めれないもの』
それは私が今も活動しているラグビーです。
なぜ辞めれないのか。それは誘ってくれた先輩の死でした。海で溺れていた子供を助け、その子の命を助けました。
誰かの為になら
どんな手段を使っても助ける
と良く言っていました。
今でも鮮明に覚えてます。
現在コロナ禍で色んな方が助け合い支え合い生きています。
私はラグビーを通して学んだことを思い返し日本をもっと笑顔に出来ないかを考えた時に先輩の言葉が浮かびました。
その言葉はまるでこの言葉と一緒ではないかと…
『 ONE FOR ALL ALL FOR ONE 』
この精神は必ずしも人生において大切な言葉だと強く言えます。
私も亡くなった先輩のように誰かの為に何かする事はできないか。
それが琉球ラグビーを盛り上げる為にも当プロジェクトをいち早く実行しなければならないと。
どうか、皆様のお力を借りることになりますがよろしくお願い致します。
3.これまでの歩み・経緯
宮里拓磨:
私は沖縄県の離島、宮古島で高校からラグビーしていました。
日本最南端のラグビーチームと言うこともあり、島民はラグビーの事をあまり認知されてませんでした。部員も少ない中ではありましたがチームと共にとラグビーを心から楽しんでプレーをしており、高校時代は全国をかけた県予選の決勝戦でプレーする事も経験することができました。
ただ、花園へ行く事は出来ませんでしたが、離島から全国へのチャレンジを目指して、部員全員で走り