こんにちは。未成年の為このチャレンジの代理として希在楽の代わりに私、母が息子の思いをお伝えします。企業間もなく資金がないためこのチャレンジで良いスタートをきりたくお力添えお願いいたします。
息子の名前は希在楽(KIARA)11歳です。
2歳から自らスケーターであることを意識し、スケートボードをやりたいと自ら意思表示をしました。
カラダ作りを始めとするスケーターとしての教育をうけて育ちました。
2年間のカラダ作りが終わって
4歳で知り合いのプロスケーターからコンプリートしてもらったスケートデッキを買ってもらい
スケートボードに乗るステージに入りました。
6歳でスケートスクールに通い、技を習得し全国各地沢山の場所で滑る事で、経験を積んできました。
大会やイベントに出場し、優勝や入賞を経験しました。テレビ取材やラジオ出演の経験もあります。
これまでの人生とてもハードでありながらも楽しく順調に思います。しかし、
9歳で息子が生まれた札幌市から、私たち親の離婚で苫小牧市に引っ越さなければならくなりました。それまで当たり前に出来たスケートボード一式、衣類、環境を奪われ息子は挫折でしかないと途方に暮れていました。
苫小牧に越してきて8か月程経った頃、6歳の時に通ったスケートボードスクールの先生でもありオーナーが現状を知り、お古のスケートデッキをプレゼントしてくれました。
以下KIARAの言葉
僕はうれしくてうれしくて震えました。一番辛いのは僕ではなくお母さんだと思っていたので、大変な時に「スケートボードをやりたい」という大事なことをお母さんに言うことは出来ないでいました。そんな時にオーナーが僕に直接「きあらはどうしたいんだ?」と聞いてくれたことで僕はオーナーに「本当はスケートボードをやりたいんです。」と言うことが出来たからです。僕は勇逸引っ越してきたアパートに持って来ていた古いスケート雑誌を毎日布団の中で見ていたほど、スケートボードのことを忘れたことがありませんでした。
そこから、苫小牧何処へ行くにもスケートボードを持って出かけ、なくなってしまっていたInstagramも新しくアカウントを作り、少しづつ昔の自分のスタイルを取り戻す努力を始めました。
写真2020年8月Instagramより
苫小牧市の海にて
そこから数か月程経って、苫小牧の方々が「応援しているよ」と言ってヘルメットを買えるお金やスケートパークまで行ける交通費などをサポートしてくれる方々に恵まれました。
東京のアパレルブランドの方からはたくさんの服やソックス、「お母さんを支えるのは男のきあらだから、がんばれ」と手紙をもらいました。
たくさんの優しさと喜びと希望をもらいました。
そしていつからか「スケートボードでお金を稼ぎたい」と思い考えるようになりました。
お金をもらってできること。から自分でお金を得たい。そして大会に出て有名になりたい。と思っていたことより
「一生スケートボードに乗って、そして自分でご飯を食べれるようになりたい!」
「苫小牧の環境(スケートボードの環境も含め)を元気にしたい!」
「苫小牧に大きなスケートパークを作りたい!!」
そんな風に思い行動するまで時間はかからなかったです。
そんな人生の中でKIARAは11才で起業しDoopeを立ち上げました。
Doopeという名前も苫小牧で出会った人が、名付けてくれた大切な名前です。
両親がつけてくれた僕の名前にある希望(Hope)
やばいね!!の意味がある(Dope)
先祖代々この大地で生きて、僕も生きている北海道(Hokkaido)
やれ!!(自分自身を奮い立たせる意味(Do IT)
これらの思いを伝え、つけてくれた造語が会社の名前となり生まれました。Instagram
このプロジェクトで実現したいこと自宅庭のスケートランプの製作を最初のプロジェクトとして成功させたいです。
プロジェクトをやろうと思った理由
Doope事業のひとつにKIARAが監修を務めるスケートランプの販売を林業の会社からお話をいただき、年内には発表することが決まっています。家の庭がとても広いのですが、前の住居人が畑をしていた跡地になっているため、スケートランプを建設するには庭の整備から必要になります。しかし、まだ資金がないのが現状の悩みです。
そこでプロジェクトに挑戦しようと決意しました。
資金の使い道
庭の整備費(具体的には畑の跡地の為全ての土や大きな岩のような石の撤去作業・コンクリートを敷き詰める作業)
スケートランプに使用する材料調達費(木材・ビス・鉄パイプ・防音素材調達・防腐剤・ペンキ代)
スケートランプ製作費(工具、工賃、人工(にんく)等)
柵の製作費(木材・ビ