台風に被災した茅葺きの古民家を「現代の結」で再生し、茅文化を次世代へ継承しよう!

台風に被災した茅葺きの古民家を「現代の結」で再生し、茅文化を次世代へ継承しよう!
林良樹(農家・アーティスト)x相良育弥(茅葺き職人)x塚本由晴(建築家)が茅葺きの古民家をリ・デザインします!台風に被災した茅葺き屋根を再生すると同時に、それは茅葺き文化を継承するスクールとなり、循環する未来へつなぎます。

プロジェクトの概要

はじめまして。

千葉県鴨川市の里山に暮らす林良樹と申します。

雨水のみで稲作をする天水棚田、炭焼き小屋、里山に点在する茅葺きの古民家など日本の原風景が残る釜沼集落に一目惚れして移住したのは今から22年前の1999年のことです。

移住して以来、高齢化で維持管理が厳しくなった棚田を保全するため、釜沼北棚田オーナー制度、無印良品鴨川里山トラスト、天水棚田でつくる自然酒会等々、人と人、人と自然、都会と田舎をつなげ、「地縁血縁を超えたみんなのふるさと」作りをしてきました。

しかし、2019年9月8日、房総半島に直撃した大型台風15号の風速50mにより、僕の住む古民家「ゆうぎつか」の茅葺き屋根にかけてあるトタンはすべて吹き飛ばされ、窓ガラスが割れて暴風雨が吹き込んだ室内はめちゃくちゃになり、水と電気も止まり、同時期に空き家が3軒も出てしまいました。

25世帯の9割が高齢者の集落で、このままでは益々疲弊し、限界集落から消滅集落となってしまうでしょう。

台風一過の翌朝、裏山から茅葺屋根をみた時、それはまるで缶詰に保管されていた「里山の遺跡」のようでした。

青空のもとに里山に佇む茅葺屋根のあまりの美しさに息を呑み、先人の知恵と美意識に感動しました。

その時、うまく言葉で表現できないのですが、茅葺きのある里山風景の美しさに突き動かされ、心の奥がざわつきました。 朝陽に輝いた我が家の茅葺屋根はまるで僕に語りかけて来たようでした。

「分断から循環を取り戻そう。まだ、間に合うんだ。そして、これはチャンスなんだ。だから、私は現れたんだ。」

茅葺屋根の声を聴いたような気がした僕は、直感的に茅葺きを再生しようと決意しました。

台風後、房総半島を車で走っていると被災した茅葺きの古民家が取り壊されていく姿を何度も目撃し、僕は胸が痛みました。

被災した古民家を壊す決心をした近所に住むHさんは、胸の内を話してくれました。

「俺も年だしよ、もう大金かけて直せないよ。そりゃ〜、俺だって残したいよ。育った家だもん。」

黒光りする太い柱、惚れ惚れするほどの立派な梁、手の混んだ建具、美しい床板を見つめて、Hさんはため息まじりに寂しく笑いました。

「でもよ、茅葺を直すより、壊して小さな家を建てたほうが安いんだ。俺だって1年間悩んだよ。なんとか、この立派な古民家を残せないか。でも俺はもう、かみさんと二人暮らしだろ。だから、決めたんだ。来月、壊すよ。」

あなたを救えなくてごめんなさいと、まるで家に誤っているようでした。

この土地に数百年間も建ち続けた茅葺きの古民家は、土地の知恵が凝縮された文化財であり、暮らしの美であり、「結」によってコミュニティを育て、美しい日本の風景をつくってきました。

茅場も失われ、知恵も失われ、文化も失われ、職人もいなくなり、コミュニティも高齢化となり、修復には大金がかかると言われるため、茅葺きをあきらめたHさんの決断も理解できます。

無理だよ、無謀だよ、金もないのに、いくらかかるのか知ってるのか、できるわけないよ、だってもう失われてしまったのだから、あきらめろよ、と人々は言いました。

しかし、僕はあきらめるのではなく、できない理由をさがすのではなく、できる理由を探し始めました。

知恵も文化も茅場も失われたなら、取り戻せばいい。

「結」も失われたなら、「現代の結」をつくればいい。

職人がいなければ、育てればいい。

資金がなければ、集めればいい。

僕は否定された意見をすべてひっくり返し、いつものごとく超ポ