三芳菊酒造の三姉妹が開発!本格派徳島県産山田錦50%まで磨いた純米大吟醸

三芳菊酒造の三姉妹が開発!本格派徳島県産山田錦50%まで磨いた純米大吟醸
蔵のために東京農大の醸造科学科に進学した三姉妹の純米大吟醸。酒蔵に生まれ幼いころから酒造りを手伝った三姉妹の思いがこもったお酒です。

三芳菊酒造の杜氏の馬宮亮一郎と申します。
徳島県三好町池田町に蔵を構え「三芳菊」の銘柄酒を販売しております。
このたび、私の三人の娘がどのようにして三姉妹のお酒を造るようになったかをお話させていただきます。
東京から徳島へ

お話の始まりは少し前のことになります。
1990年代はじめ、大学を卒業した私は東京で音楽関係の仕事をしておりました。先のことは何も考えず自分の好きなことをしておりました。

そういうある日、実家である酒蔵の両親から電話があり酒蔵の経営もかなり厳しくなかなか先が見えない。
このままだといつやめることになるか分からないという内容でした。

急いで話しを聞くために実家に戻ると、その内容は非常に厳しいものでした。ただ、このままやめてしまうと実家も酒蔵も無くなってしまうという事実でした。

そして、私は酒蔵を継ぐために徳島に戻りました。
当時、蔵に来てくれていた杜氏さんに酒造りを教わり、2000年より自分が杜氏として酒造りを行うようになりました。
当時は日本酒業界にとっては非常に厳しい冬の時代でたくさんのお蔵が廃業されていきました。うちも例外ではなく、資金のない中、やっとの思いで自分で造った酒は売り先もなく途方に暮れる毎日でした。

ただ、そんな中でも一緒に酒蔵をしてくれる家内にも出会い、三人の娘にも恵まれました。この2000年からの酒造りもとても困難を極めるものでしたが、常に家族の応援がありなんとか続けてこられました。
お父さん、お酒売れた?

当初から自分の思う酒を造りたい、やめてしまうことはいつでもできると思い、続けてきました。ただ地元は過疎の町でもあり、私の蔵のある徳島県も非常に人口も少ない日本酒の消費の少ない場所でありました。

当時はお酒をなんとか販売できないかと、東京に住んでいる妹のところに宿泊させてもらい造ったお酒を持って販売店をまわりました。時には一週間ももっとも家を空けていたのですが、お酒の売れ行きは芳しくなく、一週間でも何も成果が無いこともありました。

そのときに小学低学年や幼稚園に通っていた三人の娘、綾音、織絵、胡春は、私が帰ってくると、「お父さん、お酒売れた?」と聞いてきました。
幼いながらに心配してくれていたのでしょう。私は1本も売れなかったとは言えず、「たくさん売れたよ」って嘘をついていました。娘たちは「よかったよかった」と嬉しそうにしてくれて、それを見てもっともっと頑張らねばと思ったのです。

それから少し時間がたち、長女の綾音は中学生になり、次女の織絵も小学校高学年になり、人手の少ない蔵での仕込みなどを手伝ってくれるようになりました。蔵の仕事はご存じの通り、朝早かったり深夜に麹の仕事があったりとなかなか時間的にも制約が多い仕事で、手伝ってもらうと本当に助かりました。

当時はほぼ一人でお酒造りをしていたため、家内と二人の作業も多く、娘が手伝ってくれると本当に助かりました。
東京農大の醸造科学科への進学

数年前にまた蔵に転機が訪れました。非常に厳しくいつどうなるか分からない蔵の未来に少しだけ明かりが見えてきたのです。

といっても経営が厳しいことには変わりなかったですが、なんとか飲んでいただきたいお酒の形も少しだけ見えてきて、応援していただける方も増えてきました。そんな中、私の祖母と母が、あいだ一ヶ月もあかない間に続けて他界してしまったのです。

そのときに長女の綾音は高校3年生でした。彼女は音楽が好きで小さいころからずっと音楽を続けていました。2人が亡くなったあと、彼女は東京農大の醸造科