【小倉祇園太鼓】コロナ禍を乗り越えて、伝統の太鼓芸を未来に繋ぎたい

【小倉祇園太鼓】コロナ禍を乗り越えて、伝統の太鼓芸を未来に繋ぎたい
小倉祇園太鼓は、映画「無法松の一生」で一躍その名を轟かせた伝統の祭り。2019年には400周年を迎え、太鼓芸能として史上初の重要無形民俗文化財に指定されましたが、新型コロナウイルスの感染再拡大により、昨年から2年連続の中止に。祭りを存続させ、次世代に伝承していくための温かいご支援をお願いいたします。

はじめに・ご挨拶

小倉祇園太鼓は、小倉城を築城した細川忠興公が無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたものが起源とされ、小倉のまちに夏の訪れを知らせる風物詩として古くから親しまれてきました。
太鼓芸は、万治三年(1660年)から始まり、やがて、明治、大正時代以降、山車に据え付けた太鼓を叩き、それに調子をとるヂャンガラが加わり、両面打ちの太鼓を主体とした現在のカタチへと展開されました。
賑わいは下関赤間宮の先帝祭と並び称され、『関の先帝、小倉の祇園 雨が降らねば金がふる』といわれるほど、見物人で城下町が沸きかえったそうです。
また、太鼓の音色には不思議な力があるとされ、「太鼓風に吹かれれば、夏患いせぬ」と言い伝えられています。
大正時代の小倉祇園太鼓

そして2019年には400周年を迎え、同年3月に太鼓芸能としては初めて、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
授賞式の様子

400周年行事の一環としてスタートしたのが、「おぎおん太鼓塾」です。「おぎおん太鼓塾」は、地元には住んでいるけれど、祭りを体験したことがない子どもたちに向けて、祭りの魅力や太鼓の楽しさを伝える活動で、2020年2月までの約半年の間に市内15ヵ所で開催しました。

しかし、昨今の新型コロナウイルス感染症拡大防止に伴い、2020年3月より現在に至るまで、すべての活動の自粛を余儀なくされています。今年はなんとか本祭りを開催し、街に活気を取り戻そうと活動の再開を目指していますが、昨年の祭りを開催出来なかったことで、運営資金も厳しい状況が続いていますし、たとえ祭りを開催できたとしても、参加者のコロナ禍の不安を取り除き、安心して祭りを行える環境づくりのための感染防止対策にも費用がかかります。

今回、みなさまに祭りを行う環境づくりにご支援いただくことにより、未来を担う子どもたちや若い世代の「おぎおんさん」に伝統ある太鼓芸を伝え続けることができます。このプロジェクトを成功させるため、どうかみなさまのお力添え、ご支援をお願いいたします。
小倉祇園太鼓保存振興会 会長 中村 眞人
小倉祇園太鼓の特徴は?

全国的にも珍しい両面打ちが特徴で、巡行する山車の前後に据えた太鼓を歩きながら打ちます。向う鉢巻に浴衣又は法被、白足袋に草履の衣装で、太鼓2台に4人、ヂャンガラ(摺り鉦)2人が織りなす調べは独特で、他の創作和太鼓とは一線を画します。

太鼓は皮の張り方により、面の音が異なります。低く腹に響く音がする面を「ドロ」といいます。もう一面を「カン」といい、高い軽やかな音で踊るように色々な符を打ちます。二つの音をヂャンガラに合わせて、「品良くしかも力いっぱい打つ、地味に叩いて良く鳴らす」というのが正調です。競演大会では一つの音を乱さず、技の優劣を競い合います。

ジャンガラヂャンガラ「ドロ」は単調で、正しく平調にリズミカルに打ちます。このドロが正しく打てていないと相手側のカンは打ちにくく、ドロがいわば基本となります。「カン」は色々な符を打つので、技術を要します。ゆっくりと正しく格調をもって、元気いっぱいに歩調を合わせて打つのが正しい打ち方です。「ヂャンガラ(摺り鉦)」は太鼓の調律をリードする役割で、ドロ・カンをマスターした人が担います。

打法は町内によって若干異なりますが、原則的な打法、基本的なリズムがあります。それを基本に各人各様が工夫を凝らしており、これが祇園太鼓の面白さです。そして、その工夫を凝らしたバチさばきが積み重なって、現在の各町内の