黒姫や妙高などの緑豊かな山々に囲まれ、青く透き通った湧き水をたたえる野尻湖の湖畔。
両親の経営する、観光客向けの食堂に併設する小さな工房。
その中で、世界がコロナに染まる少し前から、私はひっそりとパンを焼いています。
両親の食堂はコロナの影響で売り上げが半分以下、 42.7 %まで落ちました。
お客さんは減っても、お店の維持費、必要経費や人件費はどうしても掛かってしまいます。
両親・祖父母からは笑顔がだんだん消えていきました。
「なんとかしないと…」
でも、私の働いている週5の事務職では、月に手取り8万円ちょっとしかもらえず、とても力になれません。
観光客向けの飲食店がつぶれるなんて、多くの方はもう聞き飽きているかもしれません。
かもしれませんが、私の祖父母が、戦後間もなくの日本で、駅前で野沢菜などの漬物を売るところから始まったこの食堂は、私たち家族にとって替えの効かない大切な居場所です。
このままコロナが収まらなければ、じきにつぶれてしまうでしょう。
どうにもならない…とあきらめかけていました。
ただ・・・私には一つだけアイデアがありました。
それは「私が焼く無添加パンを広く販売して、売上の足しにすること」です。
元々はただただパンが好きで、自分が焼きたてが食べたいと学び始めたパンづくり。
気づけば納得のいくパンを作るために、研究すること9年。
究極を追求して試行錯誤を繰り返すパンは、食べ切れないほどになりました。
当時からお金がなくて材料費にも困るほどなのに、パンの研究に夢中になっていきました。
そんな時、食堂の従業員さんたちに「美味しいパンが焼けたから食べてみて」と試食してもらったところ、とても喜んでくれたんです。
「本当に美味しい!今度は買うからまた焼いてほしい」
そう頼まれたのがきっかけで、細々とパンを売り始めました。
「もしも私の追求した究極のパンで、人を幸せにできるなら・・・こんなに素敵なことはない!」
それが私の生きがいになっていきました。
今は予約販売のみで、頼まれたパンを週に一度だけ焼く小さな小さなパン屋です。
当初は、マッチ売りの少女のように「全て売り切るまで帰らない!」と、
焼いたパンを持って、近所を歩き続けました。
それが、だんだんと予約が入るようになり・・・
平日は事務員として働き、土曜日に仕込んで日曜日に焼いています。
1人で焼いているのと、オーブンがとても小さいため、たくさんは焼けません。
そのため、普段は予約制のみでパンを売っていますが、今回はコロナによる家族の危機を救うため、特別なパンをより多くの人のために焼くことにしました。
どうぞ応援、よろしくお願いします。
幸せの青い鳥
「美味しい食パンが食べたい」
ある時、隣に住むたか子おばさんから言われました。
せっかく作るなら、日本で一番美味しい食パンを作りたいと思い、
何もつけなくても味わい深い、シンプルな食パンを目指すことにしました。
最初に手をつけたのは、最高の小麦粉を探すこと。
ある時は製粉会社へ、「あなたが本当に美味しいと思う小麦粉をいくつか送ってください」と担当者に頼み、
ある時は北海道へ、小麦粉やパン屋の味見に、
ある時は九州の福岡や熊本へ、
またある時はドイツの小麦粉を取り寄せて、
あちこちの小麦粉を食べ比べました。
パンの味や香りは小麦粉次第で、随分と違うものです。
とりわけ、国産の小麦粉は個性的なものが多く、旨味と香りのバランスをみました。
納得するものに