Google口コミ評価4.9!研究年数9年「無添加ホホおちパン」で実家を救いたい

Google口コミ評価4.9!研究年数9年「無添加ホホおちパン」で実家を救いたい
9年間研究し完成までに5年かけた「無添加パン」。病弱な私でも大切な人を救うため、パン作りの情熱は忘れませんでした。そんな中、実家の食堂がコロナで売上6割減。頼まれた分しか焼かない中、砂糖・バター・小麦粉・塩を全国から選び抜き、奇跡の調和を起こしたパン。数に限りがあります。20秒だけお時間ください。

黒姫や妙高などの緑豊かな山々に囲まれ、青く透き通った湧き水をたたえる野尻湖の湖畔。

両親の経営する、観光客向けの食堂に併設する小さな工房。

その中で、世界がコロナに染まる少し前から、私はひっそりとパンを焼いています。

両親の食堂はコロナの影響で売り上げが半分以下、 42.7 %まで落ちました。

お客さんは減っても、お店の維持費、必要経費や人件費はどうしても掛かってしまいます。

両親・祖父母からは笑顔がだんだん消えていきました。

「なんとかしないと…」

でも、私の働いている週5の事務職では、月に手取り8万円ちょっとしかもらえず、とても力になれません。

観光客向けの飲食店がつぶれるなんて、多くの方はもう聞き飽きているかもしれません。

かもしれませんが、私の祖父母が、戦後間もなくの日本で、駅前で野沢菜などの漬物を売るところから始まったこの食堂は、私たち家族にとって替えの効かない大切な居場所です。

このままコロナが収まらなければ、じきにつぶれてしまうでしょう。

どうにもならない…とあきらめかけていました。

ただ・・・私には一つだけアイデアがありました。

それは「私が焼く無添加パンを広く販売して、売上の足しにすること」です。

元々はただただパンが好きで、自分が焼きたてが食べたいと学び始めたパンづくり。

気づけば納得のいくパンを作るために、研究すること9年。

究極を追求して試行錯誤を繰り返すパンは、食べ切れないほどになりました。

当時からお金がなくて材料費にも困るほどなのに、パンの研究に夢中になっていきました。

そんな時、食堂の従業員さんたちに「美味しいパンが焼けたから食べてみて」と試食してもらったところ、とても喜んでくれたんです。

「本当に美味しい!今度は買うからまた焼いてほしい」

そう頼まれたのがきっかけで、細々とパンを売り始めました。

「もしも私の追求した究極のパンで、人を幸せにできるなら・・・こんなに素敵なことはない!」

それが私の生きがいになっていきました。

今は予約販売のみで、頼まれたパンを週に一度だけ焼く小さな小さなパン屋です。

当初は、マッチ売りの少女のように「全て売り切るまで帰らない!」と、

焼いたパンを持って、近所を歩き続けました。

それが、だんだんと予約が入るようになり・・・

平日は事務員として働き、土曜日に仕込んで日曜日に焼いています。

1人で焼いているのと、オーブンがとても小さいため、たくさんは焼けません。

そのため、普段は予約制のみでパンを売っていますが、今回はコロナによる家族の危機を救うため、特別なパンをより多くの人のために焼くことにしました。

どうぞ応援、よろしくお願いします。

幸せの青い鳥

「美味しい食パンが食べたい」

ある時、隣に住むたか子おばさんから言われました。

せっかく作るなら、日本で一番美味しい食パンを作りたいと思い、

何もつけなくても味わい深い、シンプルな食パンを目指すことにしました。

最初に手をつけたのは、最高の小麦粉を探すこと。

ある時は製粉会社へ、「あなたが本当に美味しいと思う小麦粉をいくつか送ってください」と担当者に頼み、

ある時は北海道へ、小麦粉やパン屋の味見に、

ある時は九州の福岡や熊本へ、

またある時はドイツの小麦粉を取り寄せて、

あちこちの小麦粉を食べ比べました。

パンの味や香りは小麦粉次第で、随分と違うものです。

とりわけ、国産の小麦粉は個性的なものが多く、旨味と香りのバランスをみました。

納得するものに