には品川の海で海苔の養殖が始まりました。品川で作られた海苔は、浅草の海苔問屋に運ばれ「江戸名産浅草海苔」として全国に知られたように、有名な「浅草海苔」も、実は「品川海苔」だったと言われています。
品川の漁業者が養殖方法を発明して海苔の大量生産が可能になり、全国各地に伝わったそうです。昭和30 (1955)年に、品川での生産量は約9,500万枚におよびましたが、昭和39(1964)年の東京オリンピックを前に、その幕を閉じました。
時は流れ、2020年の「海苔の日」2月6日。「品川海苔」の歴史と文化を、品川の魅力として発信します。 -品川区ホームページ「品川海苔 | 品川の海苔づくりの歴史と文化」より
※本プロジェクトを企画運営する「しながわジャズフェスティバル」品川区 及び 公益財団法人 品川文化振興事業団より後援を受けており、品川区の歴史に関する記述の転載については許諾を得て掲載しております。
——-
江戸時代、現在の京急線「北品川」駅から「青物横丁」駅の周辺は「品川宿」という東海道の宿場としても知られていました。港に近いこともあり「品川宿」は漁業や海苔の養殖が盛んに行われ、「品川海苔」が江戸名産として、全国に広まっていきました。また、海苔の養殖の発祥地は品川といわれています。
その後、江戸時代から続いた海苔の養殖も昭和37年を期に、漁業権の移行に伴い幕を閉じることとなりました。
しかし、現在でも北品川周辺には、港町として栄えたどこかレトロな雰囲気を残す商店も多くあり、藤森海苔店も大正時代から 場所を移すことなく海苔の製造・販売の歴史を築いてきました。
現在は、創業当時と変わらない「本物の海苔」の味を求め、愛知県から「その年に採れる最高の海苔」を仕入れ、 加工・販売を行っております。
かつての品川海苔の生産風景
——–
■<品川の食>日本最古の酵母 “エド酵母” を使用:品川縣ビールご紹介
◯品川縣
品川縣は1869年2月に設置された縣のことです。
現在の品川、世田谷、目黒、渋谷、杉並、中野区と新宿区の一部、多摩の大部分を含む区域を管轄していましたが、廃藩置県によって東京府や神奈川県、埼玉県に分割されました。
現在の品川区もわずか2年ですが「品川縣」に属していました。
◯品川縣ビールは日本初の幻のビール!?
「品川に日本初の麦酒製造所があった」
これは、明治二年から同四年に存在した品川県の古賀一平知事が窮民救済を掲げ大井町村に建設した県営麦酒製造所です。
しかし、ビールのレシピや営業形態など、当時の資料が残されていないために詳細は明らかではありません。これが幻のビール工場と言われる所以です。
◯製法&味
ドイツの伝統製法を用いるなど、可能な限り明治初期の条件で作り上げるため、試作を繰り返しました。
製法にこだわり、水にこだわり、手間暇かけた品川縣ビール。甘く華やかな香りとコクが自慢のエールビールです。
◯酵母にもこだわり
1909年(明治42年)東京帝国大学農学部、醸造試験所(現在の酒類総合研究所)の中沢亮治氏がドイツのベルリン工科大学に留学中、日本の清酒の酛から分離した日本最古級の酵母 “日本最古の酵母” と言われる「サッカロマイセス・エド(通称:エド酵母)」を発見。(※独立行政法人製品評価技術基盤機構バイオテクノロジーセンター(NBRC)に保管されています)
このエド酵母を使ったビールを研究していた秋田県田沢湖ビールに協力を依頼し、品川縣ビールは “エド酵母” を使用して作られた初めてのビールにな