織られた後に色を付けるため、単一の織られ方になりますが、色や柄を考えながら織るため、独特の織られ方になるんですね。
そこから出てくる衣擦れの音というのが非常に美しいという評価を得ていました。
そして、郡内織の中でもその技術の高度さから超絶技巧と評されるのがほぐし織です。
ほぐし織は、織ったものを一度ほぐして、再度織るといった作業を行うため、その名前がつきました。
特に特徴的なのが、最初に織った後、型を使って染める工程です。
通常は①織る②染めるという2つの作業だけですが、①織る②染める③織るといった3段階の作業をすることで、独特の模様を生み出すことができます。
その独特の模様は、印象派の絵を思い出させるものです。
織物を織る糸も経糸(たていと)に双糸(撚り合わせた糸)という特殊な糸を使い、緯糸(よこいと)に単糸(一本の糸) を使うため、高い耐水性と耐久性を兼ね備えた実用性を備えたものになります。
衣擦れの音を楽しめる生活を
みなさんは、衣擦れの音を気にしたことがありますか。
現代社会は音にあふれていて、普段の生活で衣擦れの音を楽しむといったことはほとんどなくなっているのではないでしょうか。
また、日々の生活に追われていて、自分の身に着けているものの出す音に意識を向けることも少ないのではないでしょうか。
普段は傘をさすときも、しまうときも、雨のことが気になって、なかなか傘には目が向かないかもしれません。
傘をさして、外から室内に入る時、傘をしまう際に耳を澄ませてみませんか。
その微かな衣擦れの音を楽しむことができる。
そんなちょっとした時間、音を大切にする時間を過ごしてみませんか。
江戸時代から続く郡内織の発祥の地としての都留市の歴史
江戸時代には、郡内織は人気の商品となっており、都留市の主な産業は織物産業となっていました。
市域の80%を占める森林の多くは当時、桑畑として活用されていました。
都留市は江戸時代、城下町として山梨県東部地域(郡内地域)の政治・経済・文化の中心地として栄えたまちでしたが、それを支えたのは織物産業だったのです。
時代が進むにつれて、和服から洋服が好まれるようになり、織物としてのニーズは減っていくものの、戦後、昭和の時代までは都留市の各家庭では蚕が飼われるなど、その盛んな様子がうかがえていました。
しかし、昭和後期から平成になると海外からの輸入品などとの競合が多くなり、織物から産業転換をする会社が多くなりました。
現在も織物業は地場産業として都留市の中で大きな位置づけとなっているものの、それに関わる人が年々減少しており、織物業の再興と継承が都留市の悲願となっています。
現在、織物業を担う市内の会社は、傘づくりの企業が1社、ネクタイづくりの企業が1社、座布団づくりの会社が1社、布団づくりの会社が数社となっており、そのうち前3社については後継者がいない状態です。
中でも傘については、織物部分は市内で作っているものの、その組み立ては大阪で行っており、市内で織りから組み立てまで一貫して行える状態になく、一気通貫の体制作りが課題となっていました。
傘づくりの担い手育成を始動
そんな織物業の担い手不足を問題意識として持っていたのが、都留市にある谷村織物工業組合(事務局:都留市商工会) のみなさんでした。
谷村織物工業組合に所属するのは織物業の会社のため、高齢化や後継者不足に悩んでいる方々です。
そして、ご縁あって私たち「まちのtoolbox」と連携をして、担い手育成の事業を行うことにな