リーグ戦では、チームメイトにおんぶに抱っこ状態だった。自分が引っ張ると決めて臨んだ最終学年。そこにあった姿は対極のものだった。仲間に支えられ、引っ張られ立つのもやっと。情けなすぎて、逃げ出したくもなったけど同期に慰められなんとか思いとどまった。
そこから何をすべきか考えに考えて、プライドを捨てた。上手いプレーができないなら泥臭いプレーでチームに貢献すればいい。自分の進路なんてどうでもいいからチームに貢献したい、みんなで勝ちたいと思って必死に戦った。
少しは貢献できただろうか。必死さは伝わっただろうか。自分の中に後悔はないし、ベストを尽くせたのだから良しとしておこう。
その結果というべきか、代償にというべきか、11月末リーグ戦最終節で負ったけがの影響で(自分の進路を決めるにあたって)勝負の月と位置づけていた12月を棒に振ることになる。だけどもうそんなことはどうでもよかった。大学サッカーやり切ったなあという清々しい気持ちでいっぱいだった。
余韻に浸りながら過ごした12月を終え、1月。リハビリもそこそこにセレクションを受けながらコンディションを戻していった。
セレクションを通していくつかのチームから話をいただいた中で、最もカテゴリーの高かったFCガンジュ岩手に入団を決め、2月からチームに合流した。
「25歳までにJ2以上のクラブでプレーすること」
そんな目標を掲げて始まった僕の社会人サッカー人生も早いもので5ヶ月が経とうとしている。
この立派すぎる目標と上手くいかない現実のギャップに苦しみながら過ごした最初の4ヶ月間。覚悟の足りなさと心の未熟さを突きつけられた。
朝6時に起き練習場に向かい、11時に帰宅する。ジムでトレーニングし、昼食を食べ、13時からバイト。20時半に帰宅して晩御飯を食べる。お風呂に入り、ストレッチをし22時に寝る。
すべて想像通りではあった。練習してから仕事に行く身体的なきつさも、経済的に余裕がなく節約してもお金が貯まらないことも、余暇時間がほとんどないことも。想像通りではあったが、頭の中でイメージするのと実際に体験するのでは訳が違う。
実家暮らしで何も言わずとも寝る家があり、3食ご飯を食べさせてもらえる、グランドに行けば年齢の近い気の合う仲間とサッカーができる。そんな環境で決めた覚悟なんて何の役にも立たないと思い知らされた。
環境を変えたい。成長が感じられないことや将来に対する不安からそう考えた。ただコロナの影響もあり、海外へ行くことも難しい状況。だから今を準備期間と位置付けてやるべきことをやった。練習、走り、筋トレ、体幹、ストレッチ全て妥協せずに取り組むことで個の力を高めた。
6月に入りリーグ戦が始まった。昨年の1位、2位のチームいわゆる格上との対戦で手応えを感じた。自分が今までやってきたことは間違ってなかったと確信を持てた。
だからこそ同時期に、「ドイツにセレクションを受けに行けるようになったけどどうする?」と話をもらったときはかなり悩んだ。多分1ヶ月前だったら「行きます!」と即答していただろう。
正直、今の環境でも成長できることがわかったし、監督もチームメイトもサポーターの方々もいい人ばかりで居心地の良さすら感じていた。このままガンジュに残る方が楽だなと思ったからこそドイツへ行くことを決めた。
迷ったらきつそうな方を選ぶ。元々、社会人になってもサッカーを続けると決めた時点で茨の道なのだから、とことん追い込もうと思った。ドイツに行ったからといって無条件で上手くなる訳じゃないし、プロになれる訳でも