トします。先ほどの図のように健常者、障害者を分けて、障害者サイド、健常者サイドに分けるのではなく新たなユニークに触れられる経験を提供します。
amiami?の第一歩として、アート作品をデザインとして「もの」に変身させ、さまざまな感性を少しずつ広めていきます。「障害者が作ったから」ではなく「これ可愛いよね。」と興味を持ち、「何が描かれているんだろう。」といった会話が交わせる仲間や友達が増えると良いなぁと考えています。そして、商品販売の収入はアーティストや福祉施設とシェアし、障害者の自立や障害者アートの発展につなげます。
私の生い立ち
私には自閉症の妹がいます。私が8歳の時に、妹に高機能自閉症(現在の自閉症スペクトラム)という「障害」があると知りました。たった1人の私の妹、他に兄弟もいません。だから私にとっては「普通」の妹でした。少し私と違うところがあっても妹ってこうなんだと思っていました。妹には妹のすごいところや良いところがあって、私には私の良いところがあると思っていました。1歳〜6歳までアメリカで暮らしていたこともあり、外に出れば色々な人がいましたし、さまざまな言語や肌の色の人が溢れていました。
しかし、日本に帰ってきて、2人とも成長するにつれ、なぜか私だけが「普通」扱いされ、妹は「違う」と扱われることが増えてきました。その違いが「障害」によるものなのだと社会から植え付けられる感覚に大きな違和感がありました。そんな違和感をどこかに持ったまま、私は「普通」に高校生、大学生、社会人になりました。私は私なりに精一杯「普通」でいるため、それなりに努力しました。自然と私達は活動する場所や時間が異なっていき、いつしか私自身も仕事や環境の変化で自分以外のことを考えることもなくなっていきました。持っていた違和感に蓋をしたのです。
社会人になって8年がたったある日、妹が通っている福祉施設に行く機会がありました。どんなところか分からず失礼があってはいけないと思い、とても緊張しながら施設へ行ったのを覚えています。しかし、そんな不安も束の間、すぐに心がほぐれていきました。
性別も年齢も違う施設利用者が、それぞれの場所で絵を描いていたり、切り絵をしていたり、陶芸品を作っていたりと、思い思いに、そして自分が表現したいことに忠実に、創作活動に励んでいました。そこは一生懸命「普通」でいようとした私を癒してくれる場所でした。私の妹は大好きなマンガを作っていました。彼女はひたすらに自分と向き合っていると、恥ずかしながらその時初めて気づきました。
そして、その時に私にとって衝撃的だったことが、その施設での作品は、ありきたりな表現で表せないほど、その人らしさが表れていました。溢れんばかりのエネルギーが宿っていて、そんな作品達から私はたくさんのパワーを受け、日々の生活でいつしか余裕がなくなっていた心に勇気と活力をもらいました。「この世界を知ってもらいたい。」純粋にそう感じました。
これまでの活動とこれから
昨年9月に一人で思い立ちました。協力いただくアーティストや福祉施設にお願いしながら少しずつ準備を進めてきました。雑貨品の商品開発は全くの素人でしたので、色々な方のサポートをいただきながら今この文章を書いています。
今回このプロジェクトを立ち上げるにあたりお2人にアート作品の提供をいただきました。
そして福祉施設「京都市ふしみ学園」の皆様にも協力してもらいアート作品のデータ化をはじめ、様々な相談にも乗ってもらいました。
amiami?は、アート作品をデザイ