」の七夕祭り
・今回のクラウドファンディング実施に寄せて・先輩からのメッセージ
・最後に
・〜追補・平のまちの七夕祭りの歴史〜
平のまちに代々受け継がれてきた七夕祭り
諸説ありますが、平の七夕祭りが動き出したのは、1930年(昭和5年)。当初は平三町目に平支店を構えた宮城県仙台市の七十七銀行が、平の街に七夕飾りを飾りつけ、これに刺激を受けた平本町通り商店街でも競って七夕飾りを飾りつけ始めたことから「平七夕まつり」が始まったと言われています。
(なお、いわき市の地域史研究の第一人者である夏井芳徳先生から、七夕祭りの歴史について解説をいただきました。ページの最後でご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。)
そんな平のまちの七夕祭りは、平の町人の心意気によって長年支えられ、例年30万人もの人出で賑わう一大イベント。平の街中には田町、白銀、一町目、二町目、、、とそれぞれの町割ごとに商店会があり、七夕祭りはこの商店会の連合を中心とした実行委員会によって開催されます。私たち平の町人衆は、毎年8月になると、山から10mを超える大きな竹を100本以上切り出し、各商店会のメンバー総出で炎天下の中七夕飾りの準備を始めます。
七夕飾りは各商店会ごと、店舗ごとに個性があります。子供たちが幼稚園で作った飾りも元気に夏空に上がります。
ちょっとしたうんちくではありますが、平の街中の歩道にはこの竹を立てるための隠れた仕掛けがあることはご存知ですか? 歩道の端にあるこのマンホールの蓋のようなもの。
実はこの中に、毎年七夕祭りの時にだけ使用される、竹を立てるための穴があるのです。幾度となく変化を遂げてきた平の街並みですが、この穴だけはしたたかに残り続けています。
こういった例を一つ取ってみても、平のまちにとって七夕祭りがなくてはならない存在であることが、おわかりいただけるのではないかと思います。
こうして各商店街の町人が力を合わせてつくった七夕飾りが立てられると、まちは一気にお祭りモードに。露店や催し物も続々と立ち並び、次第に人が集まり始めます。お面をおでこにかけながら綿あめを頬張る子ども、浴衣を着て仲睦まじそうに街を歩く若者、晴天のもと酒を酌み交わし談笑するまちの人…
七夕祭りとは、さまざまな人の想いがまちに集い、コミュニケーションが生まれ、また、そうした場のかけがえのなさを次の世代に繋いでいくためのイベントなのです。平の町人は、そのかけがえのなさを身にしみてわかっているからこそ、これまで途切れることなく七夕祭りを開催し、平のまちにとって「あたりまえ」の景色を生み出してきました。
新型コロナによって突如奪われた「あたりまえ」の景色
しかし、そんな「あたりまえ」だった景色が、突如新型コロナによって奪われてしまいました。
どんなに厳しい状況や辛い時期であっても、毎年必ず開催されてきた七夕祭りが、目に見えない未知のウイルスによって昨年戦後初の中止に。例年であれば多くの人で賑わう8月初頭の平のまちは、ただただけやき並木に蝉の声が鳴り響くばかり… 私たちにとって、こんな光景は生まれて初めてのことでした。
一方、私たちは「あたりまえ」の景色を失って初めて、七夕祭りのかけがえのなさを知ることができました。考えてみれば、七夕とは、織姫と彦星が年に一度だけ会うことを許された日です。まるでこの物語のように、私たちもこの日があるからこそ再会を果たせる地域の縁があることを改めて認識したのです。
だからこそ、「次こそは」と思い、この一年間七夕祭りの開催に向けた準備をし