「参加型七夕」でいわき・平のまちの伝統と想いをつなぎたい

「参加型七夕」でいわき・平のまちの伝統と想いをつなぎたい
福島県・いわき駅前の「平三町目商店会」青年部です。新型コロナ禍で二年連続の中止となってしまった平のまちの「七夕祭り」の伝統と想いを次の世代につなぎたい−。そんな願いを込め、今回のクラウドファンディングに挑戦いたします。よろしくお願いします。

らびにクラウドファンディング実施に際して、私たちの先輩である平三町目商店会会長からコメントをいただきました!

一昨年(令和元年)平七夕祭りはいわき七夕祭りと名称をかえ、安藤信正公の生誕200年記念をテーマとして、笹飾りのトンネルの下、人々が出会いを求める、平の夏の風物詩として開催されてきました。戦後途切れる事のなかった七夕祭りもコロナ禍の影響で2年連続で中止せざるをえなくなりました。私ども平三町目商店会では、何とかして密を防ぎつつも、例年の七夕祭りの雰囲気を伝えようと、昨年はミニ七夕祭りを実施いたしました。今年度は三町目青年部が中心となり、コロナ禍でも出来る範囲の七夕祭りを計画しています。

今年度の三町目の七夕祭りが無事成功し、来年のいわき七夕祭りの本開催へつながる事を願っております。

平三町目商店会会長 佐々木文弘
最後に

最後までお読みいただきありがとうございました。これまでも述べてきたように、昨年の七夕祭りの中止によって、私たちにとって「あたりまえ」であった七夕祭りの光景は、いつ「あたりまえ」でなくなってしまうかわからない、誰かが維持していかなければこの先いずれなくなってしまうものなんだと、強く認識しました。

私たちは新型コロナだけではなく、それ以前から震災や豪雨など、度重なる災害にもめげずに何度も立ち上がってきました。その度に地域のつながりがいかに大事か、数多あるリスクとともにいかに生きていくかを学びました。

この学びを今回の七夕祭りの中止によって、無かったことにしてはならない。だからこそ、私たちが抱えるこの熱い想いをみなさんと共有し、一緒に平の七夕祭りを開催したいのです。

長くなってしまいましたが、ぜひ皆さまからのご支援よろしくお願いいたします。

〜追補・平のまちの七夕祭りの歴史〜 
地域史研究家・夏井芳徳(医療創生大客員教授)

本町通りなど、現在の平のまちの中心部が形づくられたのは、磐城平城が築かれた江戸時代の初め、今から約400年前のことになる。

その後、平のまちは城下町として発展し、賑わった。季節ごとに、さまざまな祭りや行事が行われ、まちに活気や彩りが添えられた。正月には梵天祭りや市神祭り、春には子鍬倉稲荷の祭り、そして、お盆には松焚きが行われ、ぢゃんがら念仏踊りが近郷の村々から、まちのなかへと繰り込んだ。

平のまちで「平七夕まつり」が始まったのは、昭和9(1934)年のことになる。それは昭和10(1935)年8月6日付けの新聞『磐城時報』の「昨夜から開始された平町新興名物『七夕祭り』は、今年第二回のこととて、各商店とも秘策を練って、新奇を競い、七彩の色紙を吹流し、さては照明燈に美と粋を凝らして、夜の巷に『天国の夢』を現出した」という記事から知ることができる。昭和10(1935)年に開催された「平七夕まつり」が「第二回」だというのだから、第1回が開催されたのは、前年の昭和9(1934)年になる。

また、これを裏付ける別の新聞記事もある。昭和9(1934)年8月17日付けの『磐城新聞』に「本格的に飾り立てるのが今年始めてであり乍ら、三町目辺、各戸の趣向振りが殆ど処女作的のものとは思われぬ迄に堂に入ったもの」という記事があり、本格的に飾り立てる「平七夕まつり」が昭和9(1934)年に初めて行われたことがわかる。

ところで、昭和9(1934)年よりも前、平のまちでは本格的なものではない、揺籃期の七夕祭りが行われていた。

昭和5(1930)年には三町目の七十七銀行の平支店が店頭に七夕飾りを飾った。また、昭和6(