【土づくりから食卓まで】じいちゃんとセイサイと僕の未来をつなぐ物語

【土づくりから食卓まで】じいちゃんとセイサイと僕の未来をつなぐ物語
じいちゃんと僕、山形の伝統野菜“青菜(セイサイ)”と僕の2つの関係を重ね合わせ熱い想いと覚悟を胸に、新たなプロジェクトに挑戦します。歴史や伝統を大切にする想い、「継ぐ」「繋ぐ」をテーマとして、山形県山形市飯塚町の若手農家が伝統、歴史を紡ぎ繋ぎ、セイサイとじいちゃんの未来を引き継ぎます。

と、毎日言われたことを同じように繰り返す日々が続き、変化のない日常、いつの間にかただ仕事をこなすロボットのようになっていきました。

「上司のもとで言いなりになるロボット」

そんな自分がイヤになり、3年で仕事を退職しました。

人生で3回目の挫折。

22歳にして、追いかけていた父の背中を見失い、やりたいことも、なりたい自分も、目標も夢も何もない僕に、ふとじいちゃんの顔が浮かびある言葉を思い出しました。

介護施設に勤務していた頃、じいちゃんの手伝いを終え、家族みんなで晩ご飯を食べた後の晩酌中にポロッと。

大好きな日本酒を飲み、どこか諦めたような微笑みを浮かべながら寂しい話をするじいちゃんの姿。

じいちゃんには息子がいたけど早くに病気で息子を亡くし、農家として神保家を継いでくれる後取りが居らず、その言葉にできない寂しさを僕ら家族に教えてくれた気がしました。

すぐ近くに困ってるじいちゃんがいる…

できるかはわからないけど、力になりたい…

サッカー選手という夢、父さんの背中という目標を失った僕に、じいちゃんが手を差し伸べてくれているかのように感じました。

そこから僕は、農業の「の」の字も知らない、じいちゃんの農業の世界に没頭していきます。

じいちゃんに少しずつ教えてもらいながら、

土を耕し、種をまき、雑草、虫、病気と戦いながら成長し、やっとこさ収穫する。

ロボットのような人間になっていた僕にとって、何もかも初めての経験で、世界が見違えるほどカラフルに色づいて見えたのを覚えています。

「じいちゃんが長年やってきたことはこんなに素敵なことだったのか」と

普通の仕事では感じたことのない、なんとも言えない嬉しい感情を味わうことができました。

そして、じいちゃんと一緒に農業をやっていくにつれて、じいちゃんの人柄がいろいろな角度から見えてきました。

じいちゃんは、組合、部会の長を長年やっていて、

「たくまくんのじいちゃんにはとても世話になったんだよ」

「じいちゃんも後取りできて喜んでだべな」

「これからもよろしくね」

農業を営んでいる方の平均年齢は65歳を優に超え、高齢化や後継者不足の問題が僕の住む飯塚町でも実感できるほどでした。

それほど若くてやる気のある後継者が地区にいることが珍しかったからたくさん声をかけてくれたのかもしれません。

農家をしていると、じいちゃんからつながる関係がほとんどでじいちゃんはすごかったのかな?なんて思うこともありました。

僕から見たじいちゃんは

責任感が強く、頑固一徹で、思い立ったら即行動、曲がったことが嫌いで、多くを語らず、孫に優しい、酒飲みじいちゃん。

一言で言うと「自慢のじいちゃん」でした。

みなさんのじいちゃんは、どんなじいちゃんでしたか?

優しいじいちゃん、面白いじいちゃん、寡黙なじいちゃん、愉快なじいちゃん…

今思うと、じいちゃんの存在が僕に生きる目標を与えてくれたのかもしれません。

令和2年12月16日

じいちゃんの力になりたいと決心して早5年、

冬ということもあり、忙しくない穏やかな日常の中、

「じいちゃんたちの力を借りないで新しいことをやってみたいんだ」

と相談をしたところ、

「たくまなら大丈夫、やってみなさい」

と僕を信頼して快く承認してくれた矢先の出来事でした。

あまりに突然すぎて心に穴が開き、気持ちの整理ができないまま、時計の針だけが進みます。

あっという間に葬儀の日。

じいちゃんの友達や親族、農家仲間からは

「たくま、じいちゃんの分ま